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主人公・綾の学生時代の恋愛

学生時代・40・バイバイ(最終回)

その年の12月、綾は来年大学を去ることにした。

決めたら早いのは昔っから・・・。

10月にバイトでレジを打っていると、向かいのリブレの椅子から

ぴょんと飛び跳ねて、こっちを見たヤツがいた。

よく見ると白雪だった。

なんで、いまさらこっち見るねん・・・とまた軽くイラッっときた。

恋愛に勝ち負けもなければ、誰が悪いってこともない。

そんなことはわかってる。

わかってるけど・・・・

この大学でお世話になった二年間って

思い出すとちょっとヘビーで

かなりイケてない。

自分でも笑ってしまう・・・・。

私は細木数子さんの占いの本はあまり信じている方では

なかったけど、その時の自分は

ちょうど大殺界だということだった。

新しいことは始めてはいけない。

恋愛も・・・?

消極的に?

いや、それは無理やろ。

人を好きになるのに、理由はない。

          ☆

綾が来年大学を変わると言ったら、

本屋の店長はかなり名残惜しそうにしてくれた。

大学変わっても遊びにおいで・・・と。

もう少しバイトに来て欲しいと言われた。

でも、教科書販売までは一応責任があるから来るけど、

5月になったらもう来ないよ。

去る時はきっぱり・・・・・。

綺麗に消えたい。

友達にはまたきっと会える。

どこでだって会えるよ。

ふうちゃんはかなり寂しそうにしてくれた。

でも・・・私がいなくてもきっと大丈夫。

あなたなら・・・・ちゃんとやっていけるよ。

それにね・・・・英語の勉強は自分には向いてないと

わかったんだあ。

やっぱ国文学の方が自分には向いてるんじゃないかって。

ん、どんなにがんばっても英語の先生にはなれそうもないわ。             

と言うわけで・・・・一旦ここの大学での学生生活は

終わりなんです。

            ☆

12月の年内のバイトが最後の日、

白雪に道でばったり会いました。

きっと神様が会わせてくれたんでしょうね・・・。

綾はどうしたと思います?

道の正面から白雪が来たんです。

向こうもこっちを見ていました。

今思えば・・・

「馬鹿じゃない?」の一言でも言ってやればよかった。

でも言えなかった。臆病なんです。

           ☆          

それで、にこっと笑ったんです。

心から・・・笑顔。

綾の方が馬鹿でしょう?

ほんと・・・。

それっきりです。

人生で白雪姫に会った記憶はそれだけです。

             ☆

ジロちゃん・・・ジロちゃんは留学先から何度も手紙を

くれました。

綾も書きました。

その頃は彼女とは別れていたみたいでした。

でも・・・・綾はとーーーってもずるい女の子でした。

そのずるさはいつ身についたものなんだろう?

わかんないけど。

綾にはおかしな人生論がいくつもあるんですよ。

その一つがジロちゃんに当てはまるもの・・・・。

その人を失いたくなければ付き合わない。

恋愛関係にはならないんです。

わざと?

そう・・・それもあり。

わざと。

恋愛関係になると、近い時にはめちゃくちゃ近いけど、

別れたらもう二度と会えなくなる。

地球上で一番遠い存在でしょ?

でもそれは嫌だったんです。

だから・・・・

ずっと友達です。

ジロちゃんのことはずっとずっと友達です。

            ☆

綾がこの大学で学んだ本当にたくさんのこと、

出会いは全部、全部宝物です。

ありがとう・・・・。

バイバイ。

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学生時代・39・白雪のメッセージ

9月になりまた何事もなかったように大学は始まった。

けれども、クラスメートの何人かは大学を辞めていた。

祇園の水商売のバイトを本業にするといった人もいたし、

よその大学を受けなおすという人もいた。

綾はまた大学のバイトに戻った。

心を切り取ったように・・・・お土産やでの出来事や谷さんのことは

思い出さないように神経を集中させた。

やれば出来る。

やれば出来るもんだよ・・・・。

そんなある日、バイト先に一学年下で、

白雪の親友を先輩に持つ、井上くんがやってきた。

そして、もし休憩があるのなら

時間を少しちょうだいと言われた。

「いいよ・・・リブレ行こ」

(注;構内の学食のこと)

綾は井上くんとリブレに行った。

そして、よく座る窓際の席に座った。

井上くんは少し目が不自由だったので、

綾が案内した。

たわいもない話から、井上くんの同好会の話になった。

フォークソング同好会・・・・・。

笑える。

「そう言えば・・・・綾さん・・・・」

「ん?なに?」

「僕の先輩の友達と付き合ってたんですね」

「え?なんで?」ちょっとたじろぐ。

「僕の先輩が言ってました。

 友達から聞いたって・・・。」

「ほんで?」

「それで・・・・先輩の友達はある日金髪になったそうです。」

「ん・・・知ってる」

「それって、綾さんのためやって。綾さんのために金髪になったって」

「は?なんで・・・」

「うーーむ、僕もそう聞いただけです。でも・・・・」

「でも・・・・なに?この際なんでも言うて・・・・」

「その人、今年はもう留年だそうですよ。前期にしばらく大学休んでて。

 今は来てるけど・・・・。」

「はい?もう留年決定なの?」

「はい。そうらしいですよ・・・・。僕の先輩は綾さんのせいちゃうか・・・って。

 あいつ、大学来れへんかったって言ってました。ショックで・・・って。

 綾さん、めっちゃ可愛かったって。惚れとったみたいって。」

さすがにちょっとショックだった。

私のため?

一度も好きだなんて言ってもくれなかったし・・・・

ただ短い春休みを一緒に過ごしただけ・・・なのに。

いつもいつも会ったら、つまらなさそうにHしてたやん。

なんで?

なんで?

なんで?

大学、そんなに長いこと休んでたの?

なんで・・・・また130万以上かかるのに

留年なんてするの?

京都の私大でも学費高いほうでしょ。

アホちゃう?

ほんま、アホちゃう?

もう過ぎ去った過去のことだと思っていたのに、

段々腹が立ってきた。

井上くんは無口になった綾を感じて、

きっとちょっと気まずい思いをしたに違いなかった。

けれでも、今は無性に腹が立つ・・・・。

私のことなんて、振っておいて平気やったんでしょ?

電話かけても話してくれないし・・・・。

「綾さん・・・すんません。僕、そんなつもりで言ったん違うんですけど・・・

 先輩からそう聞いたから・・・。」

井上くんは本当にすまなさそうに言った。

「ええよ。井上くんが悪いんちゃうし。でも・・・・情けない。

 自分も情けない。戸田くんも情けないわ。

 私のために金髪って・・・・・わけわかんない。

 ごめんな。今日はもう行くね・・・・ごめん。」

綾は席を立った。

むかむかする。

本当に・・・・白雪は馬鹿だ。

私も・・・もう大学に思い残すことはないわ。

綾はそう思った。

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学生時代・38・谷さんの涙

フロントの田淵君に連れられてやってきたのは、高瀬川沿いにある小さい

喫茶店だった。

一番奥の川に面した席に谷さんは座っていた・・・。

後ろを向いていたけど頭の形ですぐにわかった。

            ☆

「谷さん、藤川さんを連れて来ましたよ・・・」

田淵君が声をかけると、谷さんは振り向いた。

「ああ・・・ほんまにありがとう」

谷さんがそう言うと、

「僕はこれで失礼します」田淵君は綾に微笑むと、

店から出て行った。

「やあ・・・よくきてくれたなあ。久しぶり」

綾は驚きと喜びで声が出なかった・・・。

まだその場に立っていた。

「さあ、座って」

谷さんの横に座った。

「元気やったか?」

「はい・・・谷さんは?」

「うん。まあまあかな・・・。すまんなあ・・・君には迷惑かけて」

「迷惑なんて思てません」

そう言いながら谷さんはどこか遠くを見つめるような目をしていた。

「祇園祭の宵々山の日にな、妻のお父さんが亡くなったんや。

 そこまでは言うたなあ」

「はい」

「その後・・・妻が急に元気のうなって・・・・ 

 うつみたいな症状になってなあ。」

綾はじっと聞いていた。

「それで、京都の家に戻ってきたんやけど、あんまり症状も

 ようならへんし・・・僕がついてたんや」

「大変でしょう・・・・ね・・・奥さんもお辛いでしょうね」

「うん・・・ちょっと自殺未遂のような騒ぎを起こしてな・・・」

綾は谷さんの顔をじっと見つめていた。

「それで、3日前からちょっと入院してるんや。夜は完全看護やから

 家族は泊まれへんのんや・・・それで・・・」

「はい・・・・」

「君に会って話がしたかったんや」

綾はうなずいた。

谷さんはちょっとやつれたように見えた。もともと細い人なのに・・・。

「谷さんは大丈夫なんですか?」

 僕か・・・・うん・・・・」

谷さんは黙ってしまった。聞いてからしまったなあと思った。

(大丈夫じゃないんだ・・・。)

「谷さん、ここ出ましょうか・・・」綾は言った。

綾は谷さんと二人きりになれる場所に行きたかった。

            ☆

それにはもう・・・・あそこしかないか・・・・。

綾はそう思った。

覚悟を決めた。

「谷さん、ちょっと歩きますけど・・・いいですか?」

「うん・・・」

二人は祇園の方から東山通りに向かった。

綾は谷さんに笑って欲しかったので、まったく関係ない話をした。

自分のドジぶりを話すと谷さんは時々笑ってくれた。

「谷さん、今日は家に帰らなくてもいいんですか?」

「いいや、今日も戻らなあかん・・・」

少し苦しそうに言った。

「わかりました・・・・ちょっとだけ二人きりで話せるところに行きましょう」

綾は一軒の建物の前で立ち止まった。

そして中に入った。

「き・・・君・・・・・」

谷さんはさすがに驚いた・・・でも綾の真剣な表情に抗う気持ちには

ならなかった。

「あのう・・・私も・・・・こういうとこ初めて来たんです・・・ここからどこへ行ったら

 いいのかな・・・」

谷さんも決して慣れている風ではなかったけれど

先に歩いて、綾を先導した。

一つのドアの前に来た。

二人は中に入った。

ここは・・・趣味の悪い光も

何もなかった。

ただ落ち着いた佇まいのひっそりとしたビジネスホテルのような感じ

のところだった。

綾は安心した。

谷さんもほっとしたようだった。

「谷さん・・・・私、二人っきりで話せる場所に来たかったんです」

「うん・・・」

「それだけです・・・・」

「うん・・・わかった・・・・ありがとうな」

谷さんは部屋のソファに腰をかけた。

綾も横に腰をかけた。

ただ、真横ではなく、話が出来るように椅子を動かして座った。

「藤川さん・・・・いや・・・綾・・・・ほんまにすまんなあ」

「何がですか?」

「君には・・・・色々・・・」

「いいえ、何にも・・・。」

「祇園祭、一緒に行きたかったんやけど・・・それもできひんかった」

「それは仕方ないです。」

「僕のせいや。妻があんなになってしもたんは・・・・僕のせいや」

(谷さんらしくない・・・元気もない・・・・

 どうしてそんなに自分を責めるのだろう。)綾はそう思った。

「僕がきっと冷たかったんやなあ・・・」

「えっ・・・・」

「僕はそんな器用な人間違う・・・きっと妻にはわかってたんや。

 僕の心が君のとこにあるって・・・。

 妻は寂しかったんや・・・。それで・・・

 心を閉ざしてしもたんかなあ。」

谷さんはとてもとても寂しそうに言った。

・・・・・・ふと谷さんの瞳を見ると、光っている。

谷さんが泣いてる?どきっとした。

ナイテルノ?

そして・・・・胸がズキズキと痛んだ。

初めてだった。

谷さんの綺麗な瞳から・・・涙が・・・・あふれている。

男の人の涙とはこんなに胸が痛いものなのだろうか。

             ☆

             ☆

「谷さん・・・」

綾は谷さんの頭をきゅっと抱きしめた。

そして、ずっと離さなかった・・・・。

谷さんもきっと辛かったのだということが痛いほどわかったから。

「もう・・・・会えへんのかな・・・」

綾がつぶやいた。

谷さんは何も言わなかった。聞こえていなかったのかもしれない。

でも、もう会わないほうがいい。

綾も泣けてきた・・・。

でもそれは必死にこらえた。

苦しかった。

こらえきれなくて、

しばらく声を出さずに泣いた。

ポタッ。

ポタッ。

涙が落ちる。

涙が谷さんの髪の毛に落ちて・・・

谷さんが気付いた。

谷さんは頭をゆっくりと起こした。

そして・・・綾をじっと見つめて・・・

それから涙を静かに唇でそっと

そっと・・・・・

吸った。

            ☆

            ☆

            ☆

二人は手を握り合っていた。

それを愛しそうにお互い口に含んだ。

骨が歯に当たる。

谷さんが綾の指を噛んだので綾は

ちょっと痛そうな顔をした。

「こんなに好きになった人はほんまに初めてや・・・・」

谷さんはそう言った。

綾はそっとうなずいた。

それでも、どうしようもない・・・。

二人に先は無いのだから。

谷さんのあふれるような気持ちは綾には痛いほどわかった。

それは綾も同じ事だった。

初めて綾がお土産やに来て谷さんを見たときから・・・

やっぱり谷さんのことを好きになっていたのだと思った。

            ☆

            ☆

「いつも綾の幸せを祈ってるから」

「私もです・・・・とにかく体に気をつけて・・・

 元気で居てください」

そして・・・二人はもう会わないと誓った。

それがお互いのためにできるたった一つのことだから。

それから綾は9月にお土産やを辞めた。

もう二度とここには戻って来ないと誓って。

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学生時代・37・愛人!?

それから谷さんからは連絡はなかった・・・・。

大学が夏休みになったので、綾の本屋でのバイトは休みということになった。

次は9月まで来なくてもよいということだった。

8月のある日、家に電話がかかって来た。

それは以前バイトしていたお土産やからだった。

「もしもし」

「もしもし・・・・三木です。綾ちゃん?ごめんね、連絡取れてよかったぁ」

「三木さん?どうかしたの?」

「それがね・・・・栗田さんが綾ちゃんにどうしても電話してって言うもんやから」

「うん・・・・それで?」

「実はね、今谷さんが仕事お休みしてはるねん・・・」

三木さんは声を潜めて言った。

「奥さんが大変なことになってるんやって・・・」

綾はすぐには状況が理解できずにいた。

「でも・・・・なんで私に?」

「とにかく栗田さんが綾ちゃんをどうしてもってご指名なんやけど・・・」

「ううーーーむ。8月から9月の初めくらいまでなら・・・今のとこ・・・大丈夫」

「ありがとう・・・・じゃあ、明日一回お店に来てくれる?」

「うん、わかった。何時?」

「10時」

三木さんの電話は切れた。

でも、どうして栗田さんが綾を指名したのかはわからなかった。

             ☆

翌日、事務所に行くと、栗田さんが待っていた。

「あ、藤川さん、よう来てくれたな・・・」

栗田さんは少し不自然な笑顔だった。

「はい・・・・あのう・・・」

「まあ、ええわ。ここ座ってくれる?」

指差されたのは事務所の隅にあるおんぼろのソファーだった。

「失礼します」綾は腰を下ろした。

栗田さんは少し真剣な表情になった。

そして事務所に他に人がいないことを確認してから

しゃべり始めた。

「単刀直入に言わせてもらうわ。

 あんた、谷さんの何なん?もしかして愛人?」

「は??」面食らった。

(愛人って・・・・私が?)

「ついこの間、お店に来た時も谷さんに会ってたやろ?あたし、上から

 見ててんからっ。」

「はあ・・・あの、確かにお昼はご一緒させて頂きましたけど・・・

 愛人って・・・。そんなこと、ありえません」

「だって、怪しい」

「あのう・・・・私栗田さんのおっしゃることがよくわかりませんけど。

 私が今日ここに来たんは昨日三木さんからバイトに来てと

 言われたからですけど」

「そうや」栗田さんはふてぶてしく言った。

「・・・・あんたにも責任があるやろ。谷さんの奥さんのことやねんから。」

(??????)

「どうかされたんですか?」

「奥さん、ちょっと心の病気みたいで・・・谷さんはずっと

 仕事休んだはるねん。そやから、あんたも手伝いって

 言うてんのっ。谷さんの代わりに働けるならあんたも

 本望やろっ。」

(な、なんでそうなんねんっ!)

綾はため息をついた。

「私、失礼します!!」綾はボロソファーから立ち上がった。

すると、栗田さんは慌てて引きとめた。

「ちょっと、待ち。」

(待ちって・・・・その言い方も気になるんですけど)

「何ですか?栗田さんの言うたはることはちょっとおかしく

 ないですか?」

以前からすぐにカッとなったり、お酒を飲むとおかしくなる人だとは

思っていたけれど、ここまでおかしいとは・・・・。

思い込みが激しいにも程がある。

「ほんなら・・・・愛人ちゃうねんな」

(まだ言うか・・・)

「違います」

「ほんなら、ええわ。・・・・・・悪かったなあ・・・・。」

(それが人に謝る態度かっ。本当にふてぶてしい)

「バイト、お願いできひんやろか?

 今、ほんまに人手不足で困ってんにゃわ」

栗田さんはさっきよりも少し落ち着いた感じで言った。

「そうですか・・・・。で、何をすればいいんですか?」

綾は出来るだけ、冷静に言った。

「あんたは、谷さんの行ったはった五条の旅館のお手伝いに

 専属で入って欲しいねん。あそこやったら知ってるやろ?」

「はい・・・・・」(五条かあ・・・・谷さんのとこかあ・・・)

栗田さんの手前、絶対に顔に出すわけにはいかなかったが

内心綾は嬉しかった。

もし、本当に人手が足りなくて、自分が少しでも谷さんの為に

何か出来るのであれば、どんなことでもしたいと思った。

谷さんは奥さんのお父さんが亡くなって・・・・

奥さんが今、本当に心の病気だとしたら・・・・

どんなに大変だろう・・・・。

翌日から綾は夕方から出来る限り五条の旅館に入った。

伯母には夜あまり遅くならないことを条件に頼みこんだ。

そのかわり、お祖母ちゃんのお世話も出来る限り

手伝うからと・・・・言った。

実のところ、祖母の体調も頭の具合もあまりよくはなかった。

伯母は渋々了承してくれたのだった。

             ☆

この間、宵々山の日に綾を探してくれたフロントの男性は

名前を田淵君と言った。田淵君は綾と同い年だった。

綾が突然旅館に来たので、一瞬驚いたような顔をしたが、

笑顔で迎えてくれた。

「いらっしゃい。歓迎します。」

「よろしくお願いします」綾はお辞儀をした。

もう一人のフロントの人はもう少し年がいった感じで

多分50代くらいだった。

でもとても優しそうな感じのいい人だった。

名前は鈴木さんと言った。

綾は同じ店の社員の清水さんという女の人と一緒に

旅館に入ることになった。

どうしても人が足りない時は、清水さんは京極の店に戻らなくては

ならなので、綾が一人になることもあった。

綾は一生懸命働いた。

五条の旅館は昔からある古い旅館で、

とても落ち着いた雰囲気の所だった。

お客さんに困らされるということもほとんどなかった。

修学旅行生にお土産の販売もしたが、

仕事は順調だった。

そんなある日・・・・・夜8時になったので

そろそろレジを閉めて、帰ろうとしたところ、

フロントの綾と同い年の田淵君が綾を呼びに来た。

「藤川さん、今日ちょっと時間ありませんか?」

「え?私ですか・・・・これからですか?

 うーーむ、あまり遅くならなければ大丈夫ですよ」

「よかった。ちょっと一緒に来てもらえませんか?」

「はい」

田淵君と一緒に川端通りを四条に向かって歩いた。

「すみません・・・・びっくりした?」

「はい。ちょっと・・・」

「実は、会わせたい人がいるんです。もうすぐですよ。」

(もしかして・・・・もしかして・・・・・・?)

           

 

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学生時代・36・宵々山の日

綾が心待ちにしていた宵々山の日が来た。

              ☆

大学の本屋でバイトを終えた綾は、夕方の6時に一旦伯母の家に寄り、

浴衣を着せてもらった。

谷さんとの約束の時間まではまだ少し間があったので、

綾は八坂神社に行き、お参りをした。

一生懸命何かを祈っていた。

何を祈ったか?

それは今は秘密にしておく。

いずれ明かされるときも来るかもしれないから。

            ☆

綾は谷さんの任されている五条の旅館に向かった。

川端通りをまっすぐに下がった。

毎年祇園祭に浴衣を着て思うのだけれど、

下駄で長いこと歩くと、必ず鼻緒ずれが出来てしまうのだった。

先にバンドエイドを当てておいて、予防しようとした年もあったが

結局あまりうまくはいかなかった・・・・。

だから、極力歩く距離は短い方がいいと思った。

             ☆

五条の旅館のすぐ近くで待った。

まだ少し早かった。

10分が過ぎ・・・・

20分が過ぎ・・・

30分が過ぎた。

それでも谷さんは現れない。

何かあったのだろうかと思いながら、

綾は待ち続けたが・・・・40分たっても谷さんは現れなかった。

諦めて帰ろうとしたが、もう少し待ってみようかと思った。

1時間近く待って、周りに酔っ払いの中年の姿も見られたので、

以前の嫌な過去を思い出し、帰ろうとした時、

旅館から小走りに出てくる人が見えた。

その人はきょろきょろして、誰かを探している様子だったが、

綾を見ると、まっすぐに近づいてきた。

「あのぅ・・・失礼ですが、藤川様でしょうか?」

「は・・・はい。そうですけど・・・・」

「よかった。谷さんから事務所にお電話が入っております。

 一緒に来ていただけますか?」

綾はその若い男の人の後ろについて行った。

旅館の裏口に通された。

裏口を入ってすぐのところに事務所があった。

「どうぞ・・・ごゆっくり」

男の人はそう言い残すと、フロントの方に消えた。

この時間、もう事務所には誰もいなかった。

「もしもし・・・・」

「もしもし・・・藤川さん、堪忍な。一時間待ってくれたんやな。

 すまんな・・・今日は急に行かれへんようになった。

 カミさんのお父さんが今日亡くなってな。

 今、京都駅や。

 最終の新幹線で東京に行かなあかん・・・・」

公衆電話からだろう・・・・ホームのアナウンスの声が聞こえていた。

「谷さん・・・・それはご愁傷さまです・・・・・お気をつけて・・・・」

綾はこういう時、なんと言えばいいのかわからず・・・・困ってしまった。

電話の向こうの谷さんの声が本当にすまなさそうで、

また悲しそうだったので、こちらまで胸が詰まるような気がした。

(奥さんのお父さんには色々お世話になったって聞いたような気がする・・・。)

しばらくはもう会えそうにない・・・・。

綾は受話器を置いた。

そして、さっきのフロントの人にお礼だけ言って帰ろうと思った。

「あのう・・・ありがとうございました・・・・・」

「いいえ。見つかってよかったです。

 谷さんにはいつもこちらで大変お世話になっております。

 あ、あの・・・大丈夫ですか?」

綾が涙を浮かべているのにその人は気付いたのだった。

どうして涙があふれてくるのだろう。

泣くまいと思うと余計に泣けてくる。

でも、谷さんが気の毒で・・・・

大切な人を失って・・・・

悲しそうで・・・。

綾はくるっと後ろを向いて、涙をハンカチでぬぐった。

この人の前で泣くのはあまりにも恥ずかしい。

まるで、自分はお馬鹿な子ではないか。

フロントの若い男性は綾に言った。

「あのぅ・・・・先程谷さんからお電話が入った時、

 浴衣姿の若い女の人を探してくれと頼まれたのです。

 あまり時間がない・・・とおっしゃって・・・。

 それで、一生懸命探しました。

 すぐに、あなただとわかりました」

「どうしてですか・・・・」

「うーーーむ、どうしてでしょう・・・。なんとなくですけど。

 あなただろうと・・・・」

その若い男の人も少し首をかしげて考えていた。

「でも、これは私の勝手な考えですけど・・・・

 いつも一緒に仕事をさせて頂いてますので、

 谷さんの人柄は多少わかっているつもりです。

 それで・・・・あなたを見た時に、うまくは言えないのですけど・・・

 どこか似ているな・・と思ったんです」

綾はその人の話をじっと聞いていた。

自分と谷さんが似ている・・・と?

「それに・・・あの谷さんが女の人を探してくれと・・・。

 そんなことは普段全く考えられないような事なんですけど・・・。

 それを僕に頼んでくれたというのも、嬉しいことでした。 

 余程大事な用事だったのかなと・・・あ、すみません・・・・」

「いえ・・・・こちらこそ。すみませんでした。

 ご迷惑をおかけしました・・・・ありがとうございました」

綾は深々とお辞儀をすると、旅館の裏口から出て行った。

まっすぐに家に帰ろう・・・・。

 

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学生時代・35・夏の日

大学の前期試験が終わった。綾は7月の終わりまではバイトに入ることになっていた。

谷さんとはあの鞍馬山以来、会っていなかった。

けれど、もうすぐ祇園祭りだったので、ちょっと昔バイトしていた

お土産やに行ってみようかと思った・・・・・。

田舎に帰るので友達への誕生日プレゼントも探したかった。

もしかしたら谷さんに会えるかもという淡い期待もあった。

            ☆

新京極は若者でいっぱいだった。

修学旅行生もいた。

店の奥の清水焼を見ていたら・・・・

「あら、久しぶり!!藤川さん・・・」と声をかけられた。

忘れもしない、それは栗田さんの声だった。

「あ、お久しぶりです。お元気ですか?」と綾が聞くと

栗田さんは「ぼちぼちね・・・」と笑った。

相変わらず真っ赤な口紅を塗っている。

ショートカットも以前と変わっていなかった。

「今日はどないしたの?」

「はい。ちょっと友達へのプレゼントを探しに来たんです」綾は答えた。

ちょうど可愛い清水焼のカップを見つけたところだった。

「ほな・・・・ごゆっくりね・・・」そう言い残して

栗田さんは自分の仕事に戻って行ったので、

綾はカップをレジに持って行き、知らないバイトの女の子に

包んでもらった。

以前は自分がこのレジを打っていたのだった。

三木さんも今はよその店に行っているとかで、いなかった。

谷さんの姿は見えなかった。

店を出て、お昼でも食べようと思っているところへ

谷さんが店に戻ってきた。

「あ・・・・こんにちは」谷さんを見て綾の顔はぱっと明るくなった。

「今日はどないしたんや?」谷さんもちょっと笑顔で聞いた。

「はい・・・ちょっと友達へのプレゼントを買いに来ました。

 清水焼を見たかったので・・・・」

「そうか。なんかええのは見つかったか?」

「はい」

「それはよかった・・・・。藤川さんはこれからどうするんや?

 時間あるんか?」

「はい。あります」

「ご飯食べに行こうか?」

「いいんですか?お仕事は?」

「ちょうど、これからお昼ご飯や。ちょっと一回事務所に

 戻ってくるな・・・待っててや」

谷さんは二階の事務所に行った。

            ☆

すぐに谷さんは戻ってきた。

「お待たせ」

「いえ・・・・」綾は店先だったので、谷さんと並んで歩くことはせず、

少し後ろを歩いた。

「あの・・・谷さん・・・私、ついて行きますから・・・先に歩いてくださいね」

「わかった」

二階の窓から下を見下ろす栗田さんに二人は全く気付いていなかった。

志津屋の前に来た。

谷さんは立ち止まって「ここはどうや?」と聞いた。

綾は志津屋のランチも大好きだった。

二階の窓際に座った。

「あのう・・・・この間はありがとうございました」

「ん?なに?」

「あの、鞍馬に連れて行ってもらった日です。お蔭様で、元気になりました」

「そうか・・・ほんならよかった」

「あの後、谷さんは大丈夫でしたか。お疲れやったでしょう?」

「僕か・・・大丈夫、大丈夫」谷さんは笑って見せた。

(あ・・・今気が付いた。谷さんがカッターシャツ一枚になってる)

「ん?藤川さん、どうかした?」

「あ・・・・いえ。谷さんがカッターシャツ一枚やから。そのシャツ・・・・

 もしかして・・・・あの時の・・・・・」

「そうや・・・。君も着たやつ」

「懐かしいです」

お互いに目を見ると、空白の2年も感じなくなるから不思議だった。

ただ、谷さんの頭にほんの少し白いものが混じっているのに気が付いた。

注文した「本日の日替わり定食」が運ばれてきた。

サラダにエビフライとハンバーグ、ご飯とスープがついていた。

綾は美味しそうに食べた。

谷さんはいつもは一人なので、昼も味気ないなどと言った。

             ☆

「君は白いシャツが似合うな」と谷さんは言った。

綾は白いシャツにジーンズを履いていた。

こういう穏やかな時間はささやかな幸せを感じるけれど、

谷さんのお昼休憩は一時間のはずだった・・・。

もうすぐ、店を出てから一時間経つ。

「もう、休憩おわりですね・・・谷さん、戻らはらんと・・・」

「そうやなあ。あっという間やな。

 そうそう・・・藤川さん、祇園祭来られへんか?」

「祇園祭ですか?もうすぐですね・・・・宵山・・・・」

「そう・・・・。忙しいか?宵々山でもええけど・・・」

「でも・・・2年前の祇園祭は・・・確か奥様とお子さん達も 

 お店に見えましたよね。谷さんに会いに来はったん違うんですか・・・」

「うん。そう・・・やった。今年は多分来られへんやろうしなあ」

「どうしてですか?」

谷さんはちょっと間を置いてから妻の明子さんのお父さんが

病気で、最近容態が良くないこと、ここ数ヶ月は奥さんが

東京の実家に帰っていて、京都にたまに帰ってくること・・・

谷さんの子供さん達は谷さんの仕事が夜遅いために

近くに住んでいるお姉さんが一緒にお世話をしてくれていることなどを

説明した。

綾はびっくりした。そんなことになっているなんて・・・・全く知らなかった。

また谷さんが普段は家に一人で生活しているというのも・・・・

とても寂しいだろうなと察した。

「ほんなら、宵々山に来ますね・・・浴衣着て来ますね。

 谷さんに会えるんですか?何時なら大丈夫ですか?」

「8時・・・・・すぎるなあ。若い娘さんに来てもらうには遅いか・・・・」

「大丈夫ですよ」綾は笑った。

「あ・・・それから・・・谷さん、大切なこと忘れてました・・・」

綾はにわかに自分の白いカバンをごそごそし始めたかと思うと、

小さい物を取り出した。

それは、オレンジ色のお守りだった。

「それは・・・」

「はい。2年前に三木さんからもらった・・・社員旅行のお土産です。

 半分は谷さんからやと聞きました。

 ありがとうございました・・・・私、いつも心強かった・・・・」

綾はそういって、ぺこりと頭を下げた。

谷さんは名残惜しいと心の中で思いながらも

仕事場に戻って行った。

綾は京阪の駅に向かって歩いていった。

祇園祭の宵々山で谷さんに会えると思うと、心は躍るのだった。

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学生時代・34・綾の知らない出来事

以下は綾の全く知らない出来事である・・・・。

綾が突然お土産やを辞めたのは、谷さんのせいではなかった。

その頃、綾の祖母の認知症が進んだために、伯母から

少して手を貸して欲しいと頼まれたこともあった。

それに、9月からは京都の駿台予備校に編入することも

決まっていたので、お土産やは遅かれ早かれ辞めなければ

ならなかった。

            ☆

谷さんは栗田さんから綾が店を辞めたことを聞いた。

「ああ、谷さん、藤川さん店辞めはったし・・・。

 何でも家庭の事情と受験のためやって・・・・。

 またすぐに新しい子が入ってくるさかい五条にも

 入ってもらえるから」

「ああ、そうなんか」と平静を装って言った。

でもその時の谷さんの表情には

一種の喪失感のようなものが表れていたかもしれない。

谷さんは綾がこんなに急に辞めるとは思っていなかった。

正直、一昨日には北山の店に一緒に行き、

その後突然の雨に降られて・・・・

思わず、自分の生家に連れて行ったのだった。

ただ、濡れた着物を乾かすために・・・。

(自分で思っても、頬が火照って来るように感じる。

 あの娘の雨に濡れた髪・・・・

 足袋をそっと脱がした時のあの、無防備で甘い声。

 自分で気付いて、赤面していた。

 あの戸惑いと恥じらいの表情が男をそそるのだ・・・・

 してはいけない妄想を駆り立てる・・・・。

 それ以上は決して踏み込んではならない領域だとわかっていたが、

 もう少し、綾のことを見ていたかった・・)

谷さんはそんなことを人知れず考えた。

考えては自分のことを自嘲するのだけれど。

             ☆

綾が店を辞めた後は、店の端々に残る綾の面影を探したりした。

屋上に行けば綾の泣いていた後姿を思い出し、

五条の旅館に行けば、ヘルプでレジに入って

一生懸命お土産を売っていた姿を思い出す。

旅館では修学旅行生を出迎えなければならず、

慣れない京言葉で

「お帰りやすぅ・・・

 お疲れさんどしたぁ・・・」と言って谷さんの方を見て、

(これでおかしくないですか?と確認していたお茶目な姿を

 思ったりもした)

谷さんにとって、一人で仕事をする時間は自分でも

おかしいほど、綾の思い出と一緒にいることが出来たのである。

それは谷さんにとって、後ろ向きではあるけれど

幸せな時間だった。

家に帰れば、妻もいて、小学生の子供たちもいる。

谷さんはいい父であり、よき夫であった。

妻の相談にも乗り、たまの休みの日には遊びにもでかけた。

家で普段と違う様子を見せれば妻に心配をかけてしまう。

この間は「お医者さんに行ったら・・・」とまで言わせてしまった。

もうそんなことはしてはいけない。

家では完璧に自分の奥底にある綾に対する感情を閉じ込めた。

そう、分厚い金庫の扉の中のように。

または肉屋の大型冷蔵庫のマイナス何十度の世界のように・・・。 

               ☆ 

               ☆

それからシーズンオフの時期に恒例の社員旅行があった。

特に行きたいわけではなかったかれど、立場上行かないわけにも

行かなかった。

夜になるとみんな宴会場で羽目をはずし始めた。

若い女の子はお酌をしなければならず、

酔っ払った者は恥ずかしげもなく、女の子のお尻を触っている。

栗田さんも酔っ払って、ひどいことになっている。

谷さんは新人の大卒の宅間君と飲んで、

話していた。

そこに綾と同い年の三木さんという社員の女の子が来たので、

ちょっと綾のことが聞けた。

9月からは駿台に行って、勉強に励んでいるらしい・・・。

それで、翌日お守りを買っている三木さんを見かけたので、

谷さんも半分お金を出したのだった。

三木さんは

「綾ちゃんにすぐに連絡を取って渡しますね」と言った。

谷さんが誰にも気付かれることなく、

怪しまれることもなく、綾に出来ることはこれくらいしかなかった。

(お守りかあ・・・。古典的やけど・・・・祈りを込めて・・・・)

             ☆

三木さんは綾とたまに会っているらしく、谷さんに綾の話をした。

「この間綾ちゃんに会って、お守り渡しておきましたよ。

 半分は谷さんからだよ・・・って伝えたら、嬉しそうでしたよ」

「そうか・・・。藤川さんは元気やった?」

「はい。めっちゃ元気で・・・別れ際に受験がんばってって

 言ったら、「よしっ」てガッツポーズしてましたよ」

三木さんは綾の真似をして見せた。

その姿が綾を彷彿とさせたので、谷さんはちょっと笑った。

三木さんは続けた・・・・

「ああ、綾ちゃんにさくらんぼの話をしたんです」

「さくらんぼって?」

「ああ、ごめんなさい。谷さんに言っちゃった・・・。

 実は詫間さんから聞いちゃった話なんです。

 谷さんが、詫間さんと二人で話している時、

 さくらんぼちゃんがな・・・って言った・・・って。

 その話を綾ちゃんが聞いて、

 びっくりしてました。

 本当にさくらんぼって言ったの?って」

「それで・・・?」

「いえ、それだけです。綾ちゃん、さくらんぼって聞いてちょっと

 びっくりしたけど、その後は何にもなかったように普通に

 ご飯食べて・・・。それから・・・お守り渡して、別れました」

「そうか・・・・ありがとう・・・」

少しの間があり、

谷さんはいつもの涼しげな表情をして

机の上の書類に目を通し始めた。

三木さんは本当は谷さんに「さくらんぼちゃん」の話を聞いてみたかったのだけれど、

谷さんのいつもと全く同じの真面目に仕事をする姿を見て、

それは聞けなかったし、場違いの話のような気がして

聞けなかった。

(さくらんぼちゃんって綾ちゃんじゃないんですか・・・)

三木さんは言葉を飲み込み、谷さんにお辞儀をして、店に下りた。

             ☆

瞬く間に一年が過ぎた。

谷さんにとってはまたいつもと変わらぬ日常生活が待っていた。

それも、退屈だと感じることもなく・・・・

ただ、知らず知らずのうちに綾の面影を求めていることがあった・・・・。

でもそれは胸がうずくような生々しい感覚ではなかった。

心の奥が温かくなるような優しい感覚になっていた。             

それなのに・・・・人生においては皮肉な出来事もあるものだ。

2月のことだった。

谷さんが夕方電車に乗っていると、丹波橋で綾を見かけた。

すぐに綾だとわかった。

久しぶりに見る彼女に胸が躍った。

けれど、離れた場所だったため、席に座って、遠くから見るだけだった。

綾のそばには背の高い男が立っていた。

でも・・・・その顔を見ただけで、谷さんにはわかった。

あの男は誠実には見えない・・・。

どうしてそう感じたのだろう?

それは、彼があまりにも美しい顔をしていたからだろうか。

それとも、なにかにじみ出る雰囲気からだろうか。

綾があの男に愛されているとは・・・・どうしても思えなかった。

綾もいつの間にか大人になったのだろうか・・・。

少し大人びた綾を見て谷さんはそう思った。

             ☆

その頃、谷さんの妻・明子さんの実のお父さんが

病気で、明子さんは実家のある東京にお父さんを看病しに

しばらくは帰ることになった。

谷さんは妻を送りだした。

小学生の子供達は谷さんのお姉さんが、お姉さんの子供達と一緒に

世話をしてくれている。

谷さんの妻・明子さんは月に何日かは京都の家に

戻ってきたし、特に不自由を感じることはなかった。

それよりも、自分たちの結婚を快く許してくれた

明子さんの両親に谷さんは感謝していたのだった。

明子さんのお母さんはもう5年も前にやはり病気で

亡くなっていた。

谷さんはその2月の日から綾に会うことはなかった。

なかったのに・・・・・。

6月だった。

霊山(りょうぜん)での仕事を終えて、高苔寺(こうだいじ)の近くの

細い道を歩いている時、

偶然にも綾に会ったのだった。

それは本当に偶然だったけれど、谷さんにとっては一瞬、

これは夢なのかと・・・自分の目を疑うような

そんな偶然だった。

向こうから歩いてくる綾は一目見て、元気がなかった。

いつものような明るさがない。

谷さんの心はざわついた。

今まで、必死に押し殺してきた感情も・・・・

氷の中に閉じ込めてきた感情も・・・・

心の扉をこじ開けて、鮮やかに甦って来るのだった。

胸が熱くて、張り裂けそうになった。

綾もすぐに谷さんに気がついた。

(そこからは読者もご存知の通り・・・・です)

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学生時代・33・谷さんの本心

綾が谷さんと一緒のところをりえちゃんに見られて、

不倫かと問い詰められていた頃・・・谷さんもまたある人物に

疑惑の目を向けられていた・・・。

             ☆

夕方。谷さんの仕事場。

谷さんが事務所での仕事を片付けて、五条の旅館に向かおうと

準備をしていると、後ろから声をかけられた。

「谷さん・・ちょっといい?」

声の主は栗田さんだった。

栗田さんはバツイチ子持ちの40過ぎの女性で

ここの社員だった。

ちょっと化粧が濃い。

いつも真っ赤な口紅を塗っていた。

女の子のバイトには少し厳しかった。

「ああ、栗田さんどないしたん?」

「谷さん・・・昨日出町柳の叡山電車の乗り場にやはったよねえ」

「え?」谷さんは一瞬驚いた。

「それに・・・あの娘・・・・二年程前にここにいた・・・・なんて言ったかな。

 そうそう藤川 綾ちゃん・・・一緒やったねえ?・・・なんで?」

「なんで?・・・・昨日偶然町で会うただけや・・・」

「怪しいやん・・・それでなんで叡山電車に乗るの」

「ちょっと、ちょっと・・・何言うてんの。僕、今からどうしても五条行かなあかんねん」

「じゃあ、終わったら店に戻ってきて。それから話の続きをしましょう」

栗田さんは怪しげな微笑を浮かべて、谷さんを送りだした。

谷さんは深いため息をついた。

「栗田さんかあ・・・参ったなあ」

谷さんはこの日、五条で仕事をしたが、

後のことを考えると憂鬱だった。

栗田さんは・・お酒を飲むと豹変することで有名だった。

恐怖の社員旅行でもそうだった。

悪夢の社員旅行が甦ってくる。

セクハラの嵐・・・

逆ナンもある。

夜中もおちおち眠れない・・・寝こみを襲われる危険もあったのである。

谷さんが仕事を終わって店に戻ると、栗田さんが待っていた。

「じゃあ、行きましょ。ここ乗せてね」と言い終わる前に

もう助手席に乗っていた。

短めのスカートのすそからスリップがのぞいている。

(あーーあ・・・)

「木屋町行って!」

「木屋町?飲むつもり?」谷さんが聞いた。

栗田さんは当たり前でしょと言う顔をしていた。

谷さんは栗田さんとは出来るだけ、飲みたくはなかったけれど

綾とのことを誤解されたままではまずいと思い、

仕方なく付き合うことにした。

            ☆

その後は悲惨だった。

栗田さんは焼酎をぐびぐび飲んで、

すぐに前後不覚の状態になり・・・

話をするどころか結局谷さんが彼女のマンションまで送って

行かなければならなくなった。場所だけは一度社員のみんなで

お邪魔したことがあったので覚えていた。

千鳥足の栗田さんの脇を抱えて部屋の前まで行った。

それでも、栗田さんは歩けないようなので

玄関の中まで送った。

部屋にはかすかにタバコの匂いが残っていた。

            ☆

「じゃあ、僕はこれで失礼するよ」谷さんは聞こえていないように見える

栗田さんにそう言った。

帰ろうとした谷さんを栗田さんが引き止める。

「待って。お茶でもどう?」

「いや、いいよ・・・。君を送ったから失礼するよ」

「いや・・・・待って」 

栗田さんが谷さんの手にすがりついた。

「!」

「私・・・・ずっと前から谷さんのこと、好きやったんです・・・・」

「え・・・」

谷さんはさすがに驚きを隠せなかった。

「でも・・・谷さんあの娘のこと気に入ったはったでしょう?」

「そんなことはないよ。ただ・・・なんかあまりにもドジやから・・・・

 ほっとけへんかった。それだけや」

「うそ。北山店に連れて行った時は?着物まで着させて・・・。

 今までそこまでしはったことないでしょ?」

「いや、あれは別に・・・あそこの店は着物やろ」

「嘘。私だって女です。

 谷さんはあの娘にはいつも必要以上に優しかったわ。

 それくらいわかります。だから・・・ずっとそばで

 谷さんを見ていてつらかった」

「でも・・・・君なあ。・・・・・僕は結婚してるんやで・・・・」

「もちろん、結婚してるのはわかってます。

 でもそれとこれとはまたちょっと別なん違いますの。

 結婚していても人を好きになってしまうことはあるでしょ? 

 それに・・・気持ちは止められへん」

谷さんは黙って、栗田さんの話を聞いていた。

が、ここで否定をしておかなければ綾への気持ちを肯定していると

とられかねない。

「栗田さん、僕は妻だけや。ずっとそうや・・・。今までもこれからも。

 だから、藤川さんのことも何とも思ってない。

 思ったこともない・・・・・」

(綾・・・・ごめん。君を守るためにはこう言うしかない)

「ほんまに?・・・でも今奥さんこっちにやはらへんでしょう?」

「うん・・・?・・・・知ってたんか?」

谷さんの奥さんがここ数ヶ月、実のお父さんの看病で東京に

戻っていることを綾は知らなかった。

でも栗田さんは同僚から聞いて知っていた。             

「私、離婚してずっと一人で寂しかった・・・・」栗田さんは涙を見せながら言う。

「うん・・・・色々大変やったやろうなあ・・・・」

「だから・・・・そういう言葉かけんといてください。私、嬉しくなってしまうでしょ」

「・・・・・」

(じゃあ僕はどないしたらええんや)

「私、明日休みなんです。息子はだんなの所に行ってて・・・

 しばらく一人なんです」

「僕は明日も早出なんや」

谷さんはやや冷ややかに聞こえる調子で言った。

栗田さんは濡れたような瞳で谷さんをじっと見つめた。

「ここに泊まって行かはりませんか?」

谷さんは何も言わなかった。

と言うより、何も言えなかった。

「もう帰るよ」谷さんは足早にマンションを後にした。

              ☆

急いで車を走らせた。

栗田さんの寂しいという気持ちはわかる。

わかるけれど・・・・栗田さんの気持ちを受け入れることはできない。

谷さんは真面目でストイックな人だった。

性に対しても・・・・・女の人と遊んだ事もなければ、

買った事も無い・・・。そういう気持ちになったこともなかった。

わりと淡白な方かもしれない・・・・自分ではそう思っていた。

ただ・・・綾のことは、・・・そう。

初めは面白い子がバイトにやってきたなあと思って見ていた。

とにかく、鈍臭い。

高校を卒業してすぐだと聞いていたので、

まあ仕方ないにしても・・・・それでも鈍臭い。

よく失敗していた。

でも、どこか田舎っぽくて、でも一生懸命で・・・

笑顔が可愛くて、憎めない子だった。

着物だけはものすごく似合いそうな雰囲気の子だった。

一度、栗田さんの指示で

新京極の町中を台車を引いて歩かなければならず・・・・

派手なオレンジ色のミニスカートの制服を着て、

それが恥ずかしかったのだろう・・・・。

ガラガラと、とんでもなく大きな音を立てるボロ台車を押して、

店に戻って来てから・・・・

屋上で一人で泣いていた。

その時から・・・・妙に気になった。

まるで中学生の頃に戻ったような気持ちだった。

声はかけなかったが・・・・

一人で屋上で泣いている後姿を見た時から、

綾のことをなんとなく見るようになった。

そう、初めはただ・・・それだけのことだった。

            ☆

栗田さんがそんなことを言うものだから、綾のことを

思い出してしまった。

谷さんは自分の感情をずっと押し殺していた。

誰にも気づかれないように・・・・細心の注意を払っていたつもりだった。

でも、五条の仕事の手伝いに綾を指名したことで、

また、着物を着せて北山の店に連れて行ったことで、

栗田さんには怪しまれていたのだった。

いつもしないようなことはするものではないな・・・谷さんは思った。

妻にも2度ほど言われたことがあった。

「あなた、お仕事大変なの?最近ちょっと元気がないわね」

それは・・・祇園で綾が酔っ払いに絡まれたと言って、

泣きながら五条の自分の仕事場の近くに来た時だった。

そして 2度目は妻に・・・・「あなた、一度お医者さんに行ったら」と言われた。

そう・・・・それは綾と上加茂の自分の生家で・・・・

初めてくちづけを交わした日だった。

綾は恐らく初めてだった。

初めてのくちづけだった・・・そう思った。

          ☆    

あの瞬間、綾が自分を求めていたことはよくわかった。

痛いほどわかったけれども、これ以上はいけない、

絶対に手を出してはいけない・・・と自分を抑えた。

必死に抑えた。

自分も綾を求めていたから・・・・。

・・・・・・苦しかった。

まだ自分の中にそういう情熱があったことにも驚いた。

本当は彼女を抱きたい。

この腕に抱きたい。 

あの真っ白で柔らかな肌をむさぼってみたい。

あの花のつぼみのような何も知らないあの娘を・・・・

泣かせても、一つになりたい・・・。

そして、朝も昼も夜もずっと、ずっと一緒にいたい。

狂おしいほど求め合って・・・。

本当はそう思っていた。

             ☆

夢の中でだけは何度も綾を抱いた。

夢の中では綾は無邪気で、そして淫らだった・・・・。

ははは・・・・・・これが男の本性か。

谷さんは自嘲して自分を戒めた。

なぜ、自分にそんなことが出来ようか。

なぜ、綾を自分のものに出来ようか。

自分には妻も子供もいる。

生活がある。

谷さんにとって、それは絶対に叶わない事だった。

どんなに切なくて、苦しくても・・・・。

絶対に。

谷さんは綾を見守ることにした。

そっと・・・・。

そして、自分の感情はさらに強く押し殺すようにしたのだった。

それから、ほどなくして綾は突然バイトを辞めた。

2年前の夏だった。

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学生時代・32・不倫の疑惑

谷さんと再会して、これまでの悩みも少し吹っ切れてまた少し今の勉強を続けようと

思った綾であった・・・・が。

赤の他人には無関心で、親切な京都であっても、

知っている人には意外とお節介なまでに突っ込んでくるのが

「京都」とも言えた。

そう、京都の、町は広いようで、狭いのであった。

谷さんは綾と出町柳の駅で叡山電車に向かうところを

綾は鴨川沿いで谷さんの靴の泥を嬉しそうにせっせと落としているところを

それぞれ知人に見られていたのである。

            ☆

            ☆

「綾ちゃん」雑誌の整理をしていると、突然声をかけられた。 

声の主は五月祭で一緒にバンドをした

ガールズバンドのヴォーカルのりえちゃんだった。

りえちゃんは学年は一つ下だった。

でも美人と言えば美人の部類に入るが、意地悪そうな光が

時々目の奥に見え隠れするのを綾は見逃さなかった。

この人とはきっとわかり合えない・・・・直感だった。

だから、りえちゃんのことは心から好きだとは言えなかった・・・。

「りえちゃん・・・本見に来てくれたん?」

「うん、まあね。綾ちゃんはバイト何時まで?」

「うーーん、今日は遅番で7時までやけど」

「そう・・・。ちょっといい?」

「うん、いいよ」

綾は午後の休憩をもらうことにした。

ちょうど休憩の時間だった。

リブレのイスに腰を下ろす。

「綾ちゃん、昨日って出町柳にいたよね?」

一瞬、うわっと思ったが、何もやましい事はしていないので、

うなずいた。

「おじさんと一緒にいたよね?」

「おじさん?」

「スーツ着たおじさん・・・」

りえちゃんは警察官のような詰問口調で聞いてくる。

「ちょっと待って。あの人は2年前にバイトしていたお店の

 社員で上司なの」

「へえ・・・・上司ねえ・・・」

意地悪そうに綾を見る。

りえちゃんは突然、切り札を出してきた・・・・。

「不倫じゃないの?」

(はあーーー、なんであんたにそこまで言われなあかんの)

「ち、違うよ。不倫じゃないよ・・・。何もないし」

りえちゃんは笑った。

「そんなん信じられるわけないやん。それに、綾ちゃん

 昨日すごく嬉しそうな顔してたやん・・・・。

 あんな顔見たことないわ。

 男の前でだけあんな顔するんやろ」

もう悲しいやら、悔しいやら・・・なんでこの人にここまで言われるの。

否定しても信じてくれない。

でもりえちゃんは続けた。

「綾ちゃん、去年吉田君が綾ちゃんのこと好きだって言って、

 綾ちゃん一回だけデートしたよね?」

「は?なんでそんなことりえちゃんが知ってるの?」

「だって、森田さんから聞いたんだもん」

「森田さんって・・・うちのクラスの森田君?」

「そう・・・。森田さんが綾ちゃんに吉田君とデートしてやってくれって

 頼んだんだって言ってたもん」

「なんで、そのことと私のことと関係あるん?」

「綾ちゃん、ひどいんだもん。なんで吉田君のこと弄ぶようなことするのよ」

「もてあそぶ?私が・・・?」

(ああ、もしかしてりえちゃんは吉田君のこと・・・好きなんだ?)

「もてあそんだりしてない。それは誤解やでっ。吉田君と一回四条行っただけ」

「綾ちゃんはそうやって、自分はいっつもいい子なんでしょ。

 自分がやってることわかってるの?」

ため息が出てきた・・・・。

「ねえとにかく、昨日見たのはなんでもない・・・忘れてくれたら

 ありがたいんやけど。偶然歩いてたら、町で会っただけだから・・・」

りえちゃんは何も言わない。

でも自分の気持ちをうまくコントロールできないのか、

今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「りえちゃん、 私は吉田君とは何も関係ない!!りえちゃんの恋愛なら

 応援するよ。ごめんね、休憩もう終わるから・・・行くね」

それだけ言ってイスから立ち上がった。

もう、面倒すぎる・・・・。

でも、谷さんがもっと大変なことになっていたなど綾は知る由もなかった。

             

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学生時代・31・鞍馬山~貴船へ

谷さんもベンチからゆっくり立ち上がった。その時、綾は谷さんの背中に抱きついた。

そして、背中から前に手を回して、ぎゅーっと力をこめた。

「おいおい・・・どうしたんや・・・」谷さんは少し驚いたようだった。

それでも、綾の手を振り解いたりせずに・・・じっとしていた。

「少しだけ・・・少しだけ・・・このままでいさせてください」

綾の心の中に谷さんに対するよこしまな気持ちがあったのではない。

ただ、ただ・・・・谷さんに対して・・・・

感謝のような・・・

嬉しいような・・・・

そして愛しいような・・・・

そんな言いようのない気持ちが溢れてきて止めることができなかった。

「谷さん・・・・ありがとう・・・」

「ん?何?よく聞こえへん」

綾は離れた。

谷さんが振り向いた。

「谷さん・・・ありがとうございます」         

 

           ☆

           ☆

今度は谷さんが綾を正面から抱きしめた。

でもそれはやはり恋人に対する抱擁と言うよりも、

大きな大人が小さい子どもを抱きしめるような・・・

そんな抱擁だった。

綾が体を離した。

          ☆

          ☆

「谷さん、私・・・ここのところずっと悩んでたんです。

 大学の勉強のことも。自分が何をしたいのかわからなくなって。

 それに、私・・・・」言いかけて戸惑った。

谷さんに白雪のことを言っても・・・・。

言いたくないような気もしたし。

「やっぱり、なんかあったんやろ?」

「・・・・・・」

少しの間があった。

「悲しい恋愛をしてたんです。春休み限定の・・・」

「そう・・・」

谷さんは何も言わなかった。

何も聞いてはこなかった。

ただ横顔はほんの少し悲しそうに見えた。

          ☆

二人はまた歩き出した。

貴船神社に着いた。

それから、近くの大きな木のそばに行った。

そこに白い半紙で作ったような人形がたくさん地面に落ちていた。

明らかに人の形をしていた。

「!・・・・これ、何ですか」(正直ちょっと不気味だった)

「ひとがた・・・やな」谷さんがつぶやいた。

「ひとがた?」

「うん。ここは縁結びの神としても知られてるんんやけど、

 昔は丑の刻参りもされていたと言われてるんや」

「丑の刻参りって・・・。藁人形とか・・・・」

「ううーーん、藁人形はどっちかって言うと、テレビとか、映画とか

 なんか演出っぽい感じやろ?でも昔の人は自分の願いを

 叶えるために、お参りしとったんやろうなあ」

「こんな山の中なのに・・・?」

「そうや・・・」

ふうーーーん、綾は何か妙に納得してしまった。

昔の人はこんな山の中に、真夜中に人知れずお参りにきていたのだろうか。

でも、そのひとがたを見て、少し切ない気持ちになった。

「願いを叶えるために・・・お参りですかあ。

 昔の人の方が、ロマンチストだったのかもしれませんね」

「ロマンチスト?」

「だって、今はきっとそんなに遠回しなことをする人も珍しいんじゃない

 でしょうか・・・」

「そうやなあ・・・・ロマンチストかあ。面白いね。それだけ

 神仏を信じていたとも言えるな」

そんなことを話しながら、その木を後にした。

          ☆

それからさらに山道を歩いて「奥の院・魔王殿」というところに着いた。

「奥の院・魔王殿ってすごい名前ですね」

「うん。そうやな・・・」谷さんもうなずいた。

「ここはな、650万年前に金星から降りてきた魔王尊を

 祀ってあるんや・・・って」

谷さんはそこに立てかけてある看板の説明を読んでくれていた。

その姿がかわいらしくて、綾は思わず、くすっと笑ってしまった。

「ありがとうございます」

「そろそろ・・・お腹空いたやろ?ここからは下山して、

 貴船口駅に向かうんや・・・。途中でお昼食べて行こうか」

「はい」

            ☆

この魔王殿から下山して、貴船口駅まで歩いて・・・・

歩いて・・・・・

なんと大人の足で30分ほどかかった。

途中で峠の小さな蕎麦屋に入った。

午後の2時半だった。

谷さんはこれからまだ仕事に行かなければならない。

ずいぶん疲れさせてしまったことだろう。

それを思うと、綾は谷さんに申し訳ないような気がした。

山の清冽な空気がよどんでいた綾の心をすっきりと

洗い流してくれたような気がしていた。

出町柳に戻ってきた。

谷さんはやはり叡山電車では眠っていた。

この30分足らずの時間を綾は谷さんにプレゼントしてあげられたような

気がして、一人で喜んでいた。

「僕、また寝てたんやな。すまんなあ・・・・年かなあ」

「いえいえ。全然・・・・まだまだお若いですよ」

「そうか・・・?」谷さんは笑った。

「今日は本当にありがとうございました。悩みがふっきれたような気がします」

「そうか・・・・よかった。僕も久しぶりにいい運動が出来たよ」

あと30分だけ時間があった。

「谷さん・・・・ちょっとそこのベンチに座っていただけませんか?」

「いいけど・・・どうかした?」

綾は鴨川沿いにあるベンチに谷さんを座らせて

谷さんの靴の泥を落としたかった。

「せめてそれくらいはさせてください」

谷さんは唸った。

「ううーーーん、それはちょっとなあ・・・・。靴を脱げって?

 ううーーーん・・・」

谷さんはきっと靴の匂いを気にしているのだろう。

「いいから・・・。泥を落とさないと・・・・こんな靴では仕事行けませんよ」

綾は半ば強引に谷さんの靴を奪い取った。

「困った娘やなあ・・・・」

「そうです。困ったヤツでいいですから・・・・」

綾はせっせと濡らしたティッシュで泥を落とした。

             ☆

この時の行動は少しうかつだったかもしれない。

谷さんの仕事場からそんなに離れていなかった。

思わぬ人に見られていたことに、谷さんも綾も全く気づいていなかったのである。

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学生時代・30・谷さんとの再会③

出町柳に着いた。雨は止んでいた。

そこから叡山電車の乗り場に行った。

こんな時間にきちんくとスーツを着た男性とジーンズを履いた

いかにも学生風の女の子が歩いていたら、人は変に思うかもしれない。

でも、それは京都のいいところで・・・人のことにはほとんど無関心だった。

言い換えれば、そっとしておいてくれるのだった。

まあ、学生も多い町だし、観光客も多いし、

仮に綾と谷さんが親子に見えたとしても、

お父さんが娘と一緒に歩いているくらいにしか思われないのだろう・・・。

腕を組む位までなら全然問題なさそうである。

             ☆

電車が入ってきた。

「可愛い・・・」綾は言った。

「ん?そうか・・。この電車古い方の車両やな」

谷さんはそんなことを言った。

2両しかない。乗客もまばらだった・・・・。

「今は観光シーズンと違うからなあ」

[そうですね」

二人は並んで座った。

そのうち電車はゆっくり走り出した。

乗ってからわかったのだけれど、この電車は単線だった。

つまり、電車どうしのすれ違いは無いのだった・・。

ゆっくりと小さい駅を通り過ぎていく。

そのうち、谷さんが無口だなと思って隣を見たら、

なんと眠っている。

(えぇ・・・嘘。谷さんが寝てる~)

静かに目を閉じて・・・眠っている。

綾はきっと疲れているんだな・・と察して、そっとしておいた。

電車の旅は続く・・・。

山道でゆるいカーブに差し掛かり、電車ががたんと揺れた。

その拍子に谷さんの頭が綾の肩に乗った。

(あ・・・頭・・・)

ちょうど綾の肩の高さに頭が乗っている。

(こういう時は、もちろんそっとしておくわね・・・)

綾は平静を装って、何気ない顔をしていた。

まるで、パパしょうがないわねえ・・とでも言うように・・・。

しばらくして、かなり山の駅に着いた。

電車の駅は「貴船」だった。

乗っていたわずかな乗客もみんなこの貴船で降りて行く。

(えっ?誰もいないけど・・・)

その時、谷さんが目を覚ました。

がばっと頭を起こした。

「おっ、ここは?」

「貴船です・・・」

「あー、一駅乗り過ごしたか。終点の鞍馬まで行くか」

そんなことは綾には全くわからなかった。

電車は鞍馬に着いた。

とても小さい駅だった。

鞍馬山登山口と書いた看板がある。

そして、急な石段が見えた。

「もしかして・・・」綾は石段を指差した。

谷さんは・・・「うん」とうなずいた。

「鞍馬って山なんですか?」

「そうや」

「山登りですか?」

「いや、山登りとはちょっと違うなあ。お寺もあるし、資料館もあるし。

 まあ、色々あるねん。でも石段がちょっと滑るかなあ」

谷さんは先に登り始めた。

そして、急なところで綾に手を差し出した。

「すみません・・・・」綾は谷さんの手を借りた。

まだまだ段は続く・・・。

一応石段の上にたどり着いた時、谷さんは鞍馬の話をしてくれた。

「この山はな、牛若丸が修行したと言われてるんや」

「へえ・・・。あの牛若丸ですか?」昔、祖母から聞いたことがある。

弁慶と五条の大橋で闘ったと言われる・・・あの牛若丸!?

源義経だった。

「そう・・・。・・・じゃあ、今度はちょっと坂道を歩くぞ」

(うっわー、正直びっくり。こんな山・・・あったんやあ。しかも今日

 谷さんと山登るなんて・・・ちょっと笑けるーー)

坂道の途中で小さな石の灯篭がたくさん並んでいる。

貴船神社の氏子何某・・・とか漢字がずらっと並んでいる。

「この先に貴船神社があるんや」

でも綾にはまだまだ相当先のように思えた。

ああ、本当にスニーカー履いててよかったあ。

パンプスならめげてるなあ・・・・。

と、ふと谷さんの方を見ると・・・・革靴だった。

しかも、黒の・・・・。ちょっとセンスのいい・・・

決しておじさん靴ではなかった・・・・。

「あのう・・・谷さん・・・・・靴・・・・」

「ん?靴?」

「汚れてますけど・・・・革靴ですよね。大丈夫なんですか?」

「大丈夫や・・・。そんなことより、しっかり歩いてくれよ。

 こんな山で遭難したら大変やぞ。ここは熊も出るし」

「えぇ・・・・・」綾が驚いていると、

「嘘や」と谷さんは笑った。

やっと半分くらいのところまで来たようだった。

途中に屋根のある休憩所と書かれたベンチがあったので

腰をおろした。

「大丈夫か?」

「はい・・。大丈夫です」

「元気なかったから・・・運動でもして、汗でもかけば気分もちょっとは

 変わるかなと思てな」

「そうやったんですか。・・・・おおきに」

綾は笑った。いつもはお土産やでしか使わない「おおきに」という言葉を

わざと使ってみせたから。

「ああ、谷さん電車で寝たはりましたよね」

「うん。ごめん、ごめん・・・・今朝仕事早出やったんや」

「え?早出って・・・5時?」

「そう・・・。今日は霊山のヘルプでなあ・・・。社長から電話あって、仕方ないやろ」

「ああ、あのおじいちゃん社長ですか・・・。ふふふ・・・。お元気ですか・・・」

「ああ。元気やでー。でもこれこれ・・・おじいちゃんって・・・。まあ元気な 

 おじいちゃんやけどなあ・・・。あっはっは・・」

「でも、5時ですかあ。すみません・・・。それで、あそこの道を歩いたはったんですかあ。

 あそこ、車も入れませんもんね」

「そうそう・・・・。交通規制してあるからなあ。霊山はなあ」

「それで、午後からの仕事は大丈夫ですか?」

「うーーむ。多分・・・・。夕方の5時に五条やねん」

「じゃあ、がんばって歩きますから・・・・」

綾はベンチから立ち上がった。

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学生時代・29・谷さんとの再会②

少し間があって、谷さんの視線と綾の視線が激しくぶつかった時・・・

ガラス戸の向こうに見える日本庭園は静かに雨に濡れていた・・。

「藤川さん・・・本当は何があったんや?」

谷さんはさっきより少し真剣な顔で聞いた。

谷さんにそんな風に見つめられると、どきどきしてしまう。

心は二年前に戻ってしまう・・・。

何も知らない純粋な少女のまま・・・谷さんに恋焦がれていた頃。

あの頃はどんなに幸せだったか・・。

でも、今は違う・・・・。綾は心の中で叫んでいた。

私・・・私・・・そう思った時、綾の目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれだした。

「!」

谷さんは驚きを隠せないといった顔で綾を見ていたが、

席をすっと立つと、綾の横へ来た。

「しょうがないなあ・・・何があったか知らんけど、会っていきなり

 泣かれたら、僕が泣かしたみたいやろ」

優しく言いながら、綾の頭をそっと抱いた。

綾は谷さんの肩に頭を乗せた。

「はい、これ・・・使い」

谷さんはスーツのポケットからきれいにアイロンのかかったハンカチを

取り出すと、綾に差し出した。

「すみません・・・ひっく・・・ひっく」

谷さんは以前と同じ、ふんわりとお香の香りがした。

「いい香り・・・ひっく」

「ん?そうか・・・何もつけてへんよ」

そう言いながら、どこか照れくさそうな顔をしている。

谷さんはそれ以上何も言わなかった。

ただ泣きつづける綾のそばにじっといるだけだった。

どうして谷さんといるとこんなに落ち着くんだろう・・・。

どうして、こんなにも安心して心地いいんだろう・・・。

二年という歳月が流れてもなお変わらずに綾に優しくしてくれる・・・。

二年前、綾は急にお土産やを辞めたのに。

少しの間、綾は子どものように泣いていたが、

やがて泣き止んだ。

「気ぃすんだか・・・」

綾はこくんとうなずいた。

「これからどうしようか・・・どっか行きたいところはあるか?」

「どこでもいいです。谷さんがお時間大丈夫なら・・・どこへでも行きます」

「どこでも・・・?また・・・そんな風に言う・・・。そんな風に言うたら、

 男は誤解するぞ。どっかに連れて行かれてしまうぞ・・・」

谷さんは昔のように笑った。

昔、自分は狼ではないけど・・・と言ったことがあった。

「わたし、アホですよね」

「ん・・・そうか?そんなことはないと思うけど・・・」

「だって、谷さんが言わはったんですよ・・・」

「アホとは言うてないぞ・・・。ただ、男が誤解するような言い方は

 気ぃ付けたほうがええぞ・・って言うたんや」

「もうっ」

「やっと笑った・・・・」

谷さんも笑った。

涼しげな顔が少し崩れた・・・そして、花が咲いた。

           ☆

「じゃあ、ここは出ようか・・・」

「はい」

谷さんが先に立って、店の出口でお金を払った。

綾は財布を取り出したが、谷さんはそれをさえぎった。

「ええよ・・」

「すみません・・。ご馳走様です」

外に出ると、霧のような雨が降っていた。

「前も雨に降られたことがあったよね」

「はい・・そうですね・・・着物濡れましたね・・・・」と言ってから、

綾は赤面した。

あの日のことを思い出したからだった。

確か上加茂の辺りの谷さんの生家で・・・着物を乾かした時のこと。

谷さんに着物を着せてもらったこと・・・・。

二人で畳に寝転んで・・・・くちづけしたこと・・・。

「どうかした?」

「いいえ」

でも、谷さんも多分あの日のことを思い出していたに違いなかった。

これは綾の直感だった・・・。

綾の心臓はまたドキン、ドキンと鳴っていた。

谷さんと並んで歩いた。

けれども、いくらなんでも二人で並んで歩いていたら、

谷さんの仕事場に幾分近い場所なので、誰に見られているとも限らない。

一緒のところを人が見たら、誤解されて谷さんに迷惑がかかってしまう・・・。

綾はそう思って谷さんに言った。

「この近くは谷さんに迷惑がかかります・・・人の少ない場所は

 ありませんか?」

「うう・・・む・・・。僕のことを心配してくれるんか・・。ありがとう・・。

 まあ、大丈夫や・・・。僕ら親子に見えるんちゃうか・・・」

(えっ?親子?絶対見えないと思うけど・・・。

 だって谷さん、めちゃくちゃ素敵だもの。第一顔の造りが全然違う!!)

綾が未成年ではないので、犯罪にはならないだろうけど。

「もう少し、ゆっくり話せるところはありませんか」

「そうやなあ・・・・鞍馬ならいいところがあるけど・・・鞍馬なあ。

 ちょっと遠いか?」

「鞍馬ですか」

綾は鞍馬には行ったことが無かったので、距離感がつかめなかった。

「出町柳から叡山電車に乗り換えるんや・・・。行ってみるか?」

「はい」

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学生時代・28・谷さんとの再会①

今の生活はもう限界だった。糸が切れそうだった。

ずっと・・・ずっと・・・。

どうにか歩いてきたけど・・・

大学の勉強って一体何なんだろう・・・。

自分がしたい勉強とは少し違う気がしていた。

そんなある日のこと。

          ☆

その日は大学も休みだったので、綾は一人で四条に出かけることにした。

朝から空は曇っていて、午後からは雨の予報だった。

けれども一人で家にいても滅入りそうだったので気分を変えたかった。

京阪電車を四条で降りて八坂神社に向かった。

八坂神社からぐるっと歩いて、平安神宮まで行こうと思った。

京都の町をぶらぶら歩くのは全く苦にならない。

どこを見ても、何を見ても毎回小さな発見がある。

綾は、いわゆる観光シーズンの春や秋もいいと思うけれど、

シーズンオフの何気ない京都の方がくつろげる気がした。

何気なく歩いていると、ちょうど高苔寺の辺りの細い道を

向こうから歩いてくるスーツ姿の男性があった。

ちらっと顔を見るとそれは谷さんだった。

谷さんも綾に気づいた。

谷さんは相変わらず涼しげな顔をしていたが、

綾を見て「おぉ・・」と言った。

綾も軽く会釈をした。

懐かしさがこみ上げてきて、胸をキュッと締め付けた。

お土産やでのバイトの日々。

谷さんに憧れて、胸をときめかせた日々・・・。

そして、着物で一緒に働いて・・・・そして・・・・

綾の初めてのくちづけ。

一瞬で今までの思い出が映画の美しいシーンのように甦ってくる。

口を開いたのは谷さんの方だった。

「元気そうやな・・・・。大学がんばって行ってんのか」

「はい・・・。谷さんは、お元気ですか?」

「僕か・・。まあ、ぼちぼちやなあ」谷さんは優しく笑った。

2年ぶりになる。

谷さんの優しい笑顔。

「今日は仕事ですか?」

「ああ、そうや。・・・藤川さん、今日は時間あるんか?

 もしあるんやったら、お茶でもどうや?」

綾は笑った。

「はい。時間はあります・・・・」

ちょうど近くに小さな隠れ家風のお茶屋さんがあった。

二人はそこに入った。

通された和室からは中庭の池と手入れの行き届いた和風庭園が見えた。

「綺麗ですね」

「そうやな。・・・・藤川さん、久しぶりやなあ」

綾は谷さんの顔を見た。

谷さんも綾の顔を見た・・・でも綾はすぐに目をそらした。

まっすぐに谷さんの目を見ることはできない。

谷さんはすぐに綾の異変に気がついた。

「どうしたんや?君らしくないなあ・・なんかあったんか」

綾は何も答えなかった。

注文したわらびもちとお茶のセットが運ばれてきた。

「ここのわらびもちは美味しいぞ。かなりファンもいるみたいやで・・・

 僕もその一人や」

谷さんがわざと色々話し掛けてくれているのがよくわかった。

綾はやっと谷さんの目を見つめた。

谷さんは「ん?」という顔をして綾を見た。

「ちょっと痩せたんか?」

「いえ・・・全然」

「なんかちょっと大人っぽくなったなあ・・・・」

谷さんはお茶を静かに飲んだ。

綾もお茶を飲んだ。

そしてわらびもちを少し小さく切って、

ひとくち、口にいれてみた。

口の中でとろけるようだった。そして上品な甘味。

「おいし・・・」綾は言った。

今まで食べたどのわらびもちとも違う。

谷さんはそうやろ・・という顔をした。

「これ、わらびもちの常識を覆すやろ」

「はい。こんなに美味しいわらびもち初めてです」

「これはな、ここの今年もう80歳過ぎたはるやろうなあ・・

 おばあちゃんが作ったはるねん。

 今は家族も手伝ったはるやろうなあ・・・・」

「へえ、そうなんですかあ・・・」

綾はぷるぷると薄茶色に光るわらびもちをそっと口に運んだ。

谷さんはそんな綾の様子を見ていた。

「大人になったか・・・・」谷さんは言った。

綾は一瞬それがどういう意味なのか考えたが、

「今年誕生日がきたら21です」とまじめに答えた。

谷さんは笑った。

「そうか。よかったな。成人したか・・・」

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学生時代・27・金髪男

5月の大学の創立記念祭がやってきた。綾はバイトもぼちぼち・・・

学業の方は相変わらず。

そんなに本気を出さなくても何とかなるもんだからまたそれも良くない。

          ☆

綾はピアノを小学生のころ習っていたのであるが、

突然隣のクラスの女子にバンドやらない?と誘われた。

あまり深く考えもせず、「まあいっか」とキーボードを引き受けた。

男子からもコーラスをやってと頼まれた。

こっちはTMネットワークのコピーだった。

綾はTMが好きだったのでこれも「いいよ」と引き受けた。

多分それはたまたま同じクラスの松田君という子がバンドを

やっていたからついでに誘われたのだろうと思う。

その時の綾にとっては何かをしている方がちょうど良かった。

白雪を忘れるためには・・・。

綾は何かしていないとついつい白雪の方に神経が行ってしまう。

また電話に出てももらえないのに電話してしまったり、

下手をすればマンションに行ってしまいそうになる。

自分は愛されていなかった。

愛されていなかったのに・・・

求められてもいないのに、連絡してしまいそうになる・・・。

あまりにも惨めな感じがした。

だから、バンドでも何でもやってやるぞという感じだった。

バンドの練習は京都市内の貸しスタジオだった。

            ☆

            ☆

            ☆

そして、五月祭当日。

綾の出番はすぐに終わった。

コーラスもまあまあの出来だったと思う。

せっかくのお祭りだから・・・と

待ち合わせていたふうちゃんと一緒に中庭の催しに行った。

そこでは簡単なゲームをしていた。

そこはなんのクラブの担当だったのだろうか・・・。

ふと見ると、見慣れた後姿があった。

黒白のボーダーのシャツを着ている。

まぎれもなく白雪だった。

ただ・・・・髪の毛だけが・・・

金髪だった。

見事な黒髪だったのに。

なぜ?

でも綾が中庭の小さいスペースで白雪を見ても彼は

決して綾の方を見なかった。

目を合わさなかった。

きっと目も合わせたくなかったのだろう。

一通りゲームが終わったので、綾は白雪の方をなるべく見ないようにして、

その場を後にした。

気まずさだけが残った。

そして、なぜ白雪が突然大学に来たと思ったら

金髪にしたのか綾には到底理解できなかった。

白雪が金髪にした理由を綾が本当に知ることになるのは、

かなり後になってからのことである。

          ☆

その翌日。

綾はたまたま通りかかったバイト先の近くで

白雪とすれ違った。

向こうも綾ととっさに目が合ってしまったので

仕方無かったに違いない。

綾は思わず小さい声で聞いた。

「その頭・・・どうしたん?」

白雪も小さい声で答えた。

「染めた」交わされた言葉はこの一言だけだった。

(もうええわ・・・・もうええわ・・・)

綾は少し怒りを覚えながら通り過ぎた。

(もう忘れなきゃ・・・・本当に忘れなきゃ・・・・

 結局のところ、忘れようと思っている時には忘れることは出来ない。

 忘れようとすればするほど忘れられない。

 忘れているという状態はきっと思い出さない・・・

 それも自然に思い出すことがない・・・ってことじゃないのかな。

 男の人のほうが引きずるってよく聞くけど

 そんなことはない。女の人も引きずるんじゃないかな・・・きっと)

        

           

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学生時代・26・ジロちゃん外国へ行く

相変わらず、白雪は大学に姿を現さないでいた。

綾はダイヤルする自分の指を止めなければと思いながら・・・

また電話をかけてしまった。そんなそんなある日のこと・・。

「はい・・・」

「もしもし・・・藤川ですけど・・・」

「・・・・・ああ、俺。何?」

「ごめんなさい。学校で姿全然見かけないから・・・」

「ああ、・・・・自主休学してるの。・・・ところで・・・・あのさ、

 あのコンドーム背中にくっつけて撮った写真・・・風船みたいに。

 俺、ずっと探してるんだけど・・・」

「あ、あの写真なら私が持ってるよ・・・」

「そうなん?俺、ずーっと探してた。

 大学休んで。家中掃除して・・・

 友達に長い髪の毛つかまれて、女連れ込んだろ・・・って

 言われたし・・・」

「それで?」

「姉貴のだろってごまかしたけど、多分友達にはばれてると思う」

「そう・・・。それで、大学には来るの?自然科学概論はもう捨てたの?」

(ただひとつ、一緒に受けられる授業だったのに・・・)

白雪は何も答えてはくれなかった。

・・・電話を切った。

まだ大学に来る気はないらしい。

(ほんまにアホちゃう。あの写真をずっと探し続けて休んでるなんて)

ここの大学は私学の中ではかなり厳しく、単位が取れないと

留年になってしまう。必須の教科を欠席してもだめだって

白雪が自分でそう言ってたのに・・・。

でも白雪と同じ学科に知り合いはいないから・・・

今、白雪がどういう状況に置かれているのかはよくわからなかった。

            ☆

午後、構内を一人でとぼとぼ歩いていると、

後ろから声をかけられた。

「あやちゃん・・・・どうしたん?」

聞き覚えのある声・・・振り向くとジロちゃんがいた。

やっぱり、いつ見ても少年のようだった・・・。

白雪とはえらい違いだな・・・。

白雪は背も高いし、いつも黒のロングコートを着ていたから

ずいぶん大人びて見えた。

ジロちゃんはそんなに背が高くないので、ジージャンとか

バイク乗りの人が着るようなジャンバーを着ていた。

この日は明るいオレンジ色のジャンバーだった。

ヘルメットを持っているから・・・バイクに乗って来たんだ。

「ああ、ジロちゃん・・・。どうもしないよ・・・どうして?」

「だって、元気ないやん。背中見たら哀愁漂ってるよ」

「うそぉ・・・」

「それは嘘やけど。ちょうどよかった。リブレ(学食のこと)でお茶するか?」

「えぇ・・・どうしようかな」

「いいから・・・こっち来て」

ジロちゃんはすたすたと歩き出した。

「あのう・・・彼女さんは大丈夫なの?」

「うん・・・・大丈夫だよ」

ジロちゃんは全く何にも気にしてない様子だった。

「さあ座って・・」

ジロちゃんはガラス張りの席の窓際の白いテーブルセットに腰を下ろした。

「綾ちゃん、何飲む?俺、カフェオレ買ってくるわ」

「じゃあ私も・・・・カフェオレ・・・・」

「じゃあ、一緒に買って来るよ」

はあ・・・・ジロちゃんってマメに動くタイプなんだ。

さすが、彼女の誕生日に手編みのマフラーをプレゼントしたって

言ってただけのことはある!?

程なくして、

トレイに白いカップを持って、ジロちゃんは席に戻ってきた。

「ありがとう・・・・。お金返さなきゃ」

「いいよ。ご馳走するよ」

「それはあかんわ・・・学生だし」

「そう?俺、女の子からお金もらわない主義やけど」

と言いながら、いたずらっぽく笑っている。

綾は財布から小銭を取り出すと、ちょうどの金額をジロちゃんに

渡した。半ば強引に・・・・。

二人で腰をおろして、温かいカフェオレを飲んだ。

「ジロちゃん、どうしてたん?忙しかった?」

「ん・・・ちょっと九州帰ったりしとったんよ。準備もほとんどできたし。

 荷物もまとまったし。来週、出発するんよ」

「そうなん?それで・・・今日は・・・」

「お世話になった教授に挨拶と・・・色々挨拶と・・・

 まあ、そんなとこかな」

「そっかあ・・・いよいよ行くんやね」

「うん・・・。まあしばらくは浦島太郎やね。がんばってくるよ・・・」

「うん・・・。がんばって」

「なあんか、元気なかとね。どげんしたと?」

「なんで九州弁なの?」

「九州は広かもん、九州弁じゃなかとよ」

「あははっは・・・・どこでも一緒に聞こえるわ」

「失礼やね」

ジロちゃんは怒った顔をしながら笑った。

「こっちだって・・・・色々あったんやけん。彼女とももめたし」

「え?そうなん?ま、そりゃそうよね。私だって、彼氏が突然外国へ

 行くって言い出したら応援するけど、複雑よ・・・。心配もするし」

ジロちゃんは急にまじめな顔になった。

「やっぱ、そうやんね・・・・」

「うん。そう思うよ」

「そりゃあ、そうやね・・・・。まあ俺も色々考えるところがあって。

 今しかできひんやん。しかも大学からお金出してもらえるんやし」

ジロちゃんは大学の交換留学生に見事合格したのだった。

(すごいなあ・・・。自分なんて無理やろうなあ・・・。

 一年も。そんな勇気も無いし・・・。

 ジロちゃんの彼女の話はそれ以上は聞かなかった。

 聞かない方がいいような気がしたから。

カップのカフェオレを飲みながらジロちゃんは言った。

「綾ちゃん、本屋で一緒にバイト出来て楽しかったよ。

 ありがとうなあ・・。また手紙書くし。頂戴な」

「うん」

なんか急に改まってそんなこと言われると、困っちゃう。

「ジロちゃんも体に気をつけて。なんか日本のものが欲しくなったら

 送るわ。何でも言ってな・・・」

「何でも?」(顔が笑っている。多分、ちょっと変なことを考えていたに違いない。

「ううーーむ、何でもと言っても無理なものもあるよ」

ジロちゃんは笑っている。

「やめてよ。おじさん虫みたいなことは・・・・・」

「おじさん虫って・・・もしかして○○さん?」

「そうよ」

ジロちゃんは思わず吹き出しそうになった。

「ジロちゃん聞いてくれる?こんなこと、ほんまは言うたら

 あかんのかもしれへんけど・・・誰にも言うてないんよ」

「ん?何?言ってみて・・・」

「まだここのバイトに来たばっかりの頃、下宿に泊まりにおいでって

 言われたことがあってん。何にもせえへんから・・・って」

ジロちゃんは興味津々で聞いている。

「日本人形みたいにケースに入れて眺めるだけ・・・みたいな・・・

 気持ち悪いでしょう?」

ジロちゃんは涙を流すほど爆笑していた。

最後はひいひい・・・と言っていた。

「なんもそんなに笑わんでもええやん・・・・こっちはすごい嫌やってんから」

「それ、ひどいなあ・・・」

「もう。他にも色々あって・・・でも店長にまで我慢してくれって言われて」

「そっかあ・・・言ってくれればよかったのに」

「うん・・・ありがと」

なんだか急に寂しくなってきた。

ジロちゃんがいなくなるなんて・・・。

「綾ちゃん・・・・ほんまは何かあったんちゃうの?

 やっぱり、元気が無かったような気がして・・・」

「ううん・・・何にもないよ。ほんとに何にもない」

ジロちゃんには白雪とのことは言えなかったし、正直

言いたくなかった。

多分この先もずっと言うことはないだろう。

            ☆

気が付くともう外はもう夕暮れだった。

ジロちゃんはまだ行くところがあると言って、

リブレの前で別れた。

ジロちゃん、もうすぐ遠い国へ行っちゃうんだね。 

 

 

ジロちゃんはもうすぐ外国に行っちゃうんだな。

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学生時代・25・友人

1週間たっても綾はまだ現実を受け入れられずにいた。

時々、白雪の家に電話をかけそうになる。

何か用事を作って、かけたこともある・・・・。

「もしもし・・・あのぅ・・・白雪・・・・・ちゃん」

「ごめん。今友達来てるから・・」

けれども、友達が来ていたりしてゆっくり話すことは出来ない。

まるで、わざといつも友達を呼んでいるかのようだった・・・。

綾も構内で白雪の姿を探すのであるが、

大学では白雪の姿を見かけなくなっていた。

(どうして来てないの・・・)

同じ教室で受けられるはずの授業も一度も姿を見せない。

もうこの教科は捨てたのだろうか。

            ☆

「綾ちゃん、何かあったん?」友達のふうちゃんが声をかけてきた。

「なんで・・・?私なんか変?」

「うん。ちょっと変・・・・いつもぼうーーーっとしてるし。

 どこに消えてるの?時々いなくなるやろ?」

「あ・・・。もしかして火曜日の3限目のこと・・・・」

ああ、その教室からは白雪の部屋がちょうど見えるから・・・

ずっと休み時間は眺めてるねん・・・。

でも失恋のことはふうちゃんには言えない。

ふうちゃんだけじゃない・・・・。まみちゃんにも・・・・誰にも言えない。

だって、仲いい子はみんな絶対にまだ何にも経験もないやろうし・・・

言っても絶対にわかってはもらえへんやろうから。

結局心配してくれていたふうちゃんにも白雪のことは言えず、

適当にごまかしてしまった。

もし、白雪のこと忘れられる日が来るとしたら・・・

そんな日が来るとは今の綾には思えなかったけれど、

それまでは一人で乗り越えなければいけないと綾は思っていた。

            ☆

バイト先に綾と同じ学部の一学年下の井上くんという男子学生が

教科書を買いに来た。

井上君は学生課のOさんに付き添われて来た。

彼は目が少し不自由だったのだ。

綾が井上君に会ったのはこの時が初めてだった。

でもなんか気さくな雰囲気の、はきはきした話し方の

好青年だった。

綾は教科書を売った。

大学から家に帰る方向が同じだったのでたまに話すようになった。

井上君と話すようになって知ったことであるが、

井上君の所属している同好会に白雪の親友のF君がいて、

井上君はF君から色々音楽について教えてもらっているというのだった。

(ああ、あのF君かあ・・・・よくいつも一緒にいたもんなあ・・・・)

この間、F君が教科書を買いに来た時も、めちゃくちゃ顔を見られた気がした。

もしかしたら、白雪から何か聞いていたのかな・・・。

初めて白雪に学園祭の写真渡した時も一緒にいたっけ。

まさかなあ・・・・白雪が友達に私の話なんてするわけないか。

絶対秘密にするタイプだし。

私と春休み限定で付き合ってたなんて・・・・言うわけないよねえ・・・。

でもなんかじろじろ見てたよなあ・・・。

気のせいかなあ。

          

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学生時代・24・白雪姫はいなくなったんだよ

新しい学年が始まった。綾は二回生になった。白雪姫も・・・。

四月の大学内の本屋は恐ろしい状況である。

大量の学生が大量の教科書を買いに来る。

クラスが違えば当然教科書も違うし、選択している科目や

履修科目によっても、ものすごく微妙な違いがあった。

それを大体把握しておかなければならない。

教科書の値段もトータルで一人あたり3万円強くらいになる。

学生にとっては決して安くない金額である。

でも、もし間違って買っても返品は出来ませんと来たもんだ。

学生も真剣な表情で買いに来る・・・・。

             ☆ 

おじさん虫は得意げに言った。

あの学部の○○教授は自分の本を学生に教科書として毎年売りつけるだとか、

教科書でお金を稼いでいるだとか・・・。

まあ、綾にとってはどうでもいいことばかりだった。

            ☆

大学の授業もなんとか終わり、いつもの公衆電話から白雪に

いつものように電話をかけた。

桜の綺麗な、晴れた日の夕方だった。

「こんにちは・・・」

「ああ、君か・・・」

「どうしてるの?」

「風邪引いちゃって、大学休んでるよ」

「ええ・・・じゃあ、なんかゼリーでも持っていこうか?」

「・・・・・・・いや、だめだ。もう来ちゃだめだ・・・・・」

             ☆

「どうして?」

「春休みは終わったろ。・・・・白雪姫はもういなくなったんだよ」

しばらく言葉が出てこず。

「・・・・・・・・・・ん・・・・。じゃあ・・・・お大事に・・・ね」

やっとそれだけ言って、電話を切った。

綾は放心状態になっていた。

そうだった・・・春休み終わったんだ。

もう・・・・会えないんだ・・・・。

もともと春休みだけの恋愛だったんだもの。

          ☆

綾にとって、それは初めてとも言える・・・・・

ひどい失恋だった。

今まで、こんなに惨めな気持ちになったことはなかったから。

自分がどうしたらいいのかわからない。

そう、ついこの間まで普通に入れた空間にもう入ることはできない。

触れることもできない・・・・。

あの髪の毛だって、

瞳だって・・・

あの手だって・・・

匂いまで思い出せるのに・・・・。

当たり前のように存在していたあの空間がもう一切自分とは

関わりないものになっているなんて。

信じられない・・・。

受話器を置いて、公衆電話のボックスから出た途端、

涙が止まらなくなった。

どうしても止まらない・・・。

何も考えられないし・・・・自分自身をコントロールできない。

大学から駅に向かう通りはかなり人の通りもあるのに・・・・。

駅まで15分ほどの道を歩けるのだろうか・・・。

とにかく綾は歩き出した。

駅に向かって・・・。

ひたすら歩いた。

でも、やはり女の子がめちゃくちゃ涙を流しながら歩く姿は奇異だったのだろう。

サラリーマン風の人や、おじさんや・・・いろんな人が振り返って

綾を見ていく。

もちろん同じ大学の学生も・・・・

しかし、綾にとってはそんなことはどうでもよかった。

人に見られようが、どうしようが関係ない。

今、自分の身に起きていること・・・・・

そのことで頭はいっぱいで、あふれてくる悲しみ・・・・

空しさ・・・・何より大事なものを失ってしまったという

喪失感をどうすることも出来なかったのだから。

どうやって、電車に乗ったか、

どうやって、家に帰りつたのか・・・・

全く覚えていない。

ご飯を食べたかもわからないし、

お風呂に入ったかもわからない。

だた、気づいたらもう次の日の朝になっていた。

その日は幸いにも土曜日だった。

その日は綾はバイトも大学も休みだった。

ふっと、気づいて、また心の中に悲しみがあふれてくる。

そして、勝手に涙があふれてくるのだった。

綾はそんな自分が情けなかった。

こんな気持ちになるのなら、どうして彼を好きになってしまったのだろうとさえ

思った。

思ったけれど、彼に出会えて、良かったと思った。

後から、後からいろんな感情が湧き起こってくる。

「どうってことない・・・・どうってことないよ・・・どこにでもあることだよ」

そうつぶやくとまた涙があふれてくる。

なにか・・・・なにか・・・・ほんの些細なことでも白雪のことと結びつけて

考えている自分が悲しかった。

そういえば・・・・白雪ちゃんは一般教養で自然科学取ってたなあ。

その講義だけは一緒に受けられるんだ・・・。

遠くからでも見ていられる・・・・・

そんなことで、喜びを感じる綾だったが、

白雪姫がどういう状況にいたかは知るよしもなかった。

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学生時代・23・最後の夜

あっけなく春休みの最後の日はやってきた。

綾はバイトの帰りに白雪姫のマンションに行った。

その日の夕飯はお味噌汁に鳥のから揚げだった。

一体こうして何回一緒にご飯を食べたのだろう?

一緒に肌を重ねたのだろう?

白雪は言った。

「一緒にお風呂入ろうか」

綾はうなずいた・・・・。

少し遅れてお風呂に入ると、白雪は頭を洗っているところだった。

決して広くないお風呂。

綾は静かに隅っこの方で体を洗い、湯船に入った。

白雪は頭を洗い終わり、綾の方を見た。

「見えてる」

「・・・・・なにが?」

視線を感じて慌てて隠す。

何を話すでもなくお風呂で普通に体を洗い、

頭を洗い・・・・。

こういうとき、白雪は手を出してきたりしない。

触っても来ないし、悪さをすることもない。

ただ普通にお風呂に入るのだった。

            ☆

            ☆

            ☆

            ☆

二人はベッドで話していた。

「明日、新入生歓迎の会で俺、話をしなくちゃいけないんだ。

 舞台の上に上がって・・・」

「そうなん・・・・緊張する?」

「そりゃあするよ・・・・。俺さ、結構緊張するタイプみたいで。

 大学の入試でこっち来た時、朝ホテルで吐いちゃったわ」

「そっかあ・・・大変やなあ。大丈夫よ。明日はみんなかぼちゃだと

 思って。ね・・・・」

「かぼちゃねえ・・・・」

「もう寝なきゃね。私は明日もバイトだよ・・・・」

「うん・・・・」

月の綺麗な夜だった。

桜も気がつけば三部くらいは咲いていた。

明日が来たら・・・・自分はどうなっちゃうのかな。

          ☆

朝が来た。綾は9時までにバイトに入らなくてはいけなかった。

白雪は起きて、髪の毛を人前に出る時ように、オールバックに

した。めちゃくちゃ上品な、嫌味のないオールバックだった。

ああ、この綺麗な横顔・・・・。

綾は思わず、見とれてしまった。

「ねえ、白雪ちゃん写真撮らせて・・・・」

「いいよ」横を向く。

鼻筋がすっと通って、和風で綺麗な横顔。

どこから、見てもけっこう完璧な顔なんだなこれが・・・。

こないだ大学の宣伝用のパンフレットのモデルになってくれと

学生課の職員に頼まれただけのことはある・・・・・。

でも・・・・ちょっと性格に難ありやけど・・・・ね。

綾は先にマンションを出た。

さすがに一緒に家を出るわけにはいかない。

すると、大学の中庭でたまたま白雪を見かけた。

新入生歓迎会の会場は、綾のバイト先のすぐ近くだった・・・・・。

「ファイト!!」綾は白雪の後ろから明るく声をかけた。

白雪は一言「おっ」と言って、手を上げた。

            ☆

            ☆

            ☆

中庭の桜が綺麗だった。

綾はバイトに入った。

その日も教科書を販売するためにものすごく忙しかった。

  

  

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学生時代・22・バイトにて

「藤川さん、昨日はどこに行ってたの?」朝、大学にバイトに行くと突然店長に聞かれた。

「昨日、バイト終わってから、車で駅まで送ってあげようと思って、

 おじさん虫(本名がありますが)に呼びに行かせたけど、

 道で見失ったって・・・」

そして、店長は綾の服をちらっと見た。

(ははーーん、おじさん虫が私の後ろを急いで追っかけてたんだ。

 そりゃあ、追いつけないわ。早歩きだと私めちゃくちゃ速いんですけど・・・)

「友達の家に行ったんですけど・・・・。そこの○○スーパーに入ったんです」

でも、店長は絶対に怪しんでいる目つきだった。

そういうところがなんだか大人のいやらしさを感じるところだった。

別に誰と付き合ってても私の勝手でしょ。

・・・・・・この間も・・・・。

ちょっと勉強のことで、言語学の先生の研究室に行くと言ったら、

店長がめちゃくちゃ心配して・・・・

「本当に大丈夫?」と顔をじっと覗き込まれた。その方が怖いんですけど・・・。

(はあーーーっ、何もないです。もちろん。だいたいここの大学に

 セクハラ教授とかいるのかしら。 聞いたこともないけど)

「あ、あの大丈夫です。ちょっとわからなかったところを聞くだけですから。

 バイトの休憩時間に研究室に行かせてください」

「そう?それはいいけど・・・。藤川さん、くれぐれも気をつけて」

(あはははは・・・・・はい。気をつけます。

 私って、そんなにあほそうに見えます?おっぱい大きいから?

 大丈夫です。そんな危ない目に遭ったこともないし。

 正直あなたの目線の方が怖いんですけど。お尻にタッチするのもいい加減

 諦めてもらえません?いつも逃げてるの・・・・気づいてない?)

おじさん虫も・・・・。

小林さんとうまくいってるなら、私のことは放っておいてくださいな。

だいたいそういうやらしい目つきで人の顔を見るなーーーーー。

エロ本バイトで読むな。

人に見せるな。

もうっーーーーー。

あーあ、ジロちゃんがバイトに来てくれたらなあ・・・。

留学の準備してるのかなあ・・・。

顔長いこと見てないような気がするなあ・・・・。

なんかジロちゃんの顔見ると、ほっとするんだよね。

ここのバイト、みんな濃過ぎるわー。

などと言っている時には、悲しいことも忘れています。

白雪ちゃんのことも・・・・。

今、家で眠ってるんだろうか。

だいたい昼間は家で寝てるか、ごそごそしてるかだもんなあ。

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学生時代・21・夜桜

もう桜のつぼみが膨らみ始めた。綾の恋も終わりが近づいていた。

この日も白雪のマンションで一緒に夕飯を食べて、お決まりのパターンのHをした後、

なぜか白雪が桜を見に行こうと言い出した。

白雪は天神川のほとりの桜がきれいだと言うのだった。

外は少し風が生ぬるくなり、もう春はそこまで来ているように感じられた。

白雪はマルボロに火をつけて、口にくわえながら歩いた。

足は長いので歩くのは早いはずなのだが、綾の速度に合わせて

くれているようだった。

「ねえ・・・・白雪ちゃん・・・・」

「ん?・・・なに?」

「ううん、なんでもない」

綾は今日なぜ桜を見に行こうと言い出したのか気になった。

まだ咲いてもいないのに・・・・。

          ☆

「ねえ、君。人の上に立つ・・・・部長なんて嫌われる役だよね」

「どうして?翻訳研究会のこと?」

「そう・・・・」

「確かに人の上に立つのは大変やけど・・・嫌われるとは限らないと思うけど・・・」

ふふ・・・白雪姫は笑った。

一人で。

綾はそれには気が付いていなかった。

そして大学の敷地内の少し離れた場所にある、グランドを横切った。

外灯がぽつんと光っている。

白雪はとても特徴のある歩き方をする・・・。

特にはや歩きの時には・・・

背が高いので、全体的に傾いて、揺れるのだった。

「早歩きの競争しようか・・・・」

「え?なあに?・・・・競争?」

二人でグランドを歩く・・・・

綾は負けたくなかったので、途中から走り出す。

「ずるいぞ・・・・」

「だって・・・・」

暗いグランドの真中で大笑いして、こけそうになった・・・。

笑った。

笑った。

二人して笑った。

忘れられないくらい笑った・・・・。

          ☆

そして白雪はまたゆっくり歩き始めた。

「どこへ行くの?」この辺りの道には詳しくない綾が聞く。

「まあ・・いいから。歩こうよ」

白雪は桜が続く川沿いを歩く。

「綺麗やね・・・でも私桜を夜見るのは苦手やねん」

「なんで?」

「だって、桜の木下には死体が埋まってそうやん?」

「そっかなあ・・・」

「そうやって。それに・・・春は苦手。だって、空気が生ぬるくって・・・。

 寂しくなるんやもん・・」

「ふうん・・・そっかあ。まあそういうのもあるかもしれないな」

「で、白雪ちゃんはいつの季節が好き?」

「俺は秋が好き。秋は出会いの季節でしょ?」

「ええ・・・そうなん?秋って寂しいっていう人多いんちゃう?」

 ねえねえ、ところでここはどこ?全然わからへんねんけど」

「内緒」

綾は周りをきょろきょろ見回してみたが、どこを歩いているのか

さっぱりわからないでいた。

そのうちに、少し明るい道に出たかと思うと、角を曲がると、

そこはもう駅だった。

綾が電車に乗る駅・・・。

「さあ、着いたよ」

「え・・・なんで。もしかして送ってくれたん・・・・・」

白雪は答えなかった。

ただ笑っていた。

もしかしてこの間酔っ払いに絡まれた話をしたから・・・・?

「ありがとう・・・。ねえ、白雪ちゃん、キスして」

「嫌だ」

(あはは・・・まあ冗談なんだけど・・・。)

綾は白雪に再度お礼を言うと、手を振って駅の階段を駆け下りた。

(送ってくれてありがとう・・・白雪ちゃん・・・・バイバイ)

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学生時代⑳泣きながら

三月も半ばになった。綾と白雪姫は彼のマンションでいつも会っていた。

白雪は会うたびに綾を求めてきた・・・。

ある月夜の晩だった。白雪はちょっとタバコを買ってくるからと

部屋を空けた。

すぐ下の自動販売機に行くのだと言った。

綾はコタツに入り、別段気にも止めず

「行ってきて・・・」と言った。

白雪はいつもマルボロを吸っていた。もちろん金沢の両親には内緒で。

彼は親の前では絶対的に「良い息子」を演じていたのだった。

白雪が出て行った間・・・

綾にほんの少し魔がさした。

普段なら絶対にそんなことはしないのに。

開いていた押入れの中によく写真屋でくれる小さい紙のアルバム

があった。

(あかん・・・あかん・・・・)と思いつつ、

手が動いてしまった。

恐らく彼が大切にとっているであろうアルバムを見てしまった。

そこに写真はなかったが、小さい紙片が入っていた。

切り取ったような、ちぎれたメモ帳のようだった。

             ☆

戸田君・・・ごめんね。もう会えない・・・・杉本

             ☆

そこにはそれだけ書いてる。

えぇーー何これ?

綾は動揺した。

白雪が大切そうに持っている紙片・・・。

そこに明らかに女文字で・・・「もう会えない」と。

綾はアルバムをそっと元通りに戻し、

杉本という名前を考えてみた。

杉本・・・杉本・・・・

あーーーーーーーーーーーーーー。もしかして。

白雪の同じ学科で同じ翻訳研究会に所属している女の子。

身長がちょうど152センチくらいの小柄な子。

それも、まるで子どもみたいな感じの、おぼこい・・・・。

でも顔は・・・・顔は・・・・結構一般的に見たら、

か・わ・い・く・な・い・よ

うまく説明できないけど、なんかどっちかって言うと、

男顔・・・。

えーーーーめっちゃ堅そうな・・・・

おとなしそうな・・・・。でも・・・・女の子らしくない・・・って言うか、

キュートじゃないって言うか。めっちゃまじめそうな。

「ああーーー、もう・・・」

もしかして、白雪が優しくされて結局ふられて傷ついたっていうのは

杉本さんが相手だったのだろうか。

・・・いろんな考えがぐるぐると回っていた。

でもそれなら・・・・やっぱり自分では太刀打ちできないと思った。

それには理由がある。

以前、白雪としゃべっていて、どんなタイプが好きかという話になった。

白雪は「猫みたいな子が好き」と言った。

綾は・・・・・絶対的な犬タイプの人間だった。

とにかく嬉しい時には、感情を隠せないし・・・・

気まぐれでつん・・・とかできない。

猫って相手を振り回す・・・用事がないと冷たくする。

そのくせ自分が用事のある時には擦り寄ってきて

相手に頼る・・・みたいな感じ・・・。

そっかーーーなるほど。杉本さんは猫タイプだなあ。

だって笑わないし。

すごく人見知りみたいだし。

それから、白雪姫は「河合美智子」の顔が好きだと言った。

河合美智子・・・

全然綾の顔とは違うタイプ。

顔の好みは仕方ない。

            ☆

白雪がタバコを買って戻ってきた。

「ただいま」

綾はちょっとだけ、暗かった。

それでもなにもなかったように、振舞った。

            ☆

            ☆

またいつものように白雪が綾のそばに来た。

「今日もするよ」窓からは月が見えた。

綾は黙って窓際にあるベッドに横たわった。

気持ちはここにはない。綾の気持ちも・・・・恐らく白雪の気持ちも。

ないのに・・・白雪は綾の体に触れていく・・・・。淡々と・・・・・。

ブラウスが脱がされていく・・・・。

ブラも・・・。

涙がこぼれた。

「どうしたの・・・?」

「・・・・・・」

「なんかあった?」

「・・・・ううん・・・・。あの・・・・白雪ちゃん・・・・」

「なに?」

「・・・・・悲しいの・・・・どうしても私じゃあかんの・・・・?好きになってくれへんの・・・・」

白雪は黙っていた。悲しい目をしている。

月の光でお互いの顔は見えていた。

綾の目から涙がこぼれて、頬を伝ってきた。

白雪は綾の頬を両手ではさんで、涙を拭きながら言った・・・・・

「白雪姫はもっと悲しい思いをしてきたの・・・・もっと。

 もう心が死んでるよ・・・・」

その言葉に綾は何も言えなくなってしまった。

心が死んでる?

いつも会うたびに綾を求めるのはなぜ?

Hがしたいの?

いつも?

自分の体調がよくない時でも?

綾になら何をしても大丈夫だと思ってるの?

心を取り戻したいから

いつも抱いてる・・・・って嘘でも言ってくれたら嬉しいのに。

           ☆

結局答えなど出せないまま・・・・

綾はその部屋から帰ることもできず、

翌朝、またバイトに向かった。

一緒に朝ご飯を食べて・・・・。

白雪は綾に黒いトレーナーを貸した。

昨日と同じ服ではバイトの仲間や店長に気まずいだろうという

白雪の配慮からだった。

下手に優しくなんてしないで・・・・・ 

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学生時代⑲おじさん虫の恋

ついにおじさん虫に恋の季節がやってきた。綾はおかしな矛先が自分からそれたので

大喜びした。それは、ある日のことだった。

教科書販売の準備で猫の手も借りたいほど忙しい本屋に

帰国子女と言われる人がバイトにやってきた。4回生だそうだ。

彼女はおかっぱで目がくりくりした・・・ちょっと変わった印象の人だった。

どちらかと言えば、色黒でスレンダーなボディだった。

でも誰がなんと言っても、服のセンスがおかしいと綾には思えた。

はっきり言って、浮いていた。服がラテンアメリカっぽいのだ!?

と言っても、綾も何がラテンアメリカかはよくわからないのだけれど。

花柄のムウムウっぽいワンピースを着ていた。

うーーむ。

でも男の人たちは彼女といるのが楽しいみたいでバイト中も

おじさん虫を筆頭に、男たちが結構群がっている状態だった。

綾は本当に心から喜んだ。

小林さん(帰国子女の名前)ありがとう!!最高です。

おじさん虫もこっちを見向きもしないわあ・・・。やったーーー。

            ☆

なんでも小林さんのお父さんが商社に勤務していて、

その仕事の関係で確か・・・・長年スペインに住んでいたと聞いた。

だから彼女は少し変わっているのかなと綾も妙に納得したのだった。

少しして、おじさん虫が小林さんにアタックして、なんとオッケーをもらって

付き合い始めたことは、同じバイトの奥村君が教えてくれた。

「藤川さん、なんかすごく嬉しそうに話聞くね」

「あったりまえやん!!ほんま、よかったわあーーー」

「そうなん????」

奥村くんに余計なことを言うのもなんなので、綾はセクハラの嵐のことは

黙っていた。

でも小林さんはさすが情熱の国で育っただけのことはあり、

「すごい」ということまで聞いてしまった。昼も夜も情熱的らしかった。

そしてある日のバイトの時のこと。

おじさん虫は綾に言った。

場所はレジだった。

その日小林さんは休みだった。

「あのなあ・・・藤川さん・・・俺ちょっと困ってんねん」

やっぱり虫チックに動いている。

「え?何がですか?」

「あのなあ・・・・聞いてくれる?大丈夫?」

「大丈夫と言われても・・・内容によりますけど」

それはこういうことだった。

おじさん虫はこの大学で、2留年もしているので、

相当九州にいるお母さんにも迷惑がかかっているらしく

なんとか勉強に励んで、卒業しなくてはならない・・・のだ。

本人は早く就職して、年老いたお母さんに楽をさせてあげたいようだ。

けれども、勉強をしていると・・・卒論の準備だったかな・・・

小林さんが裸にすけすけのネグリジェを身にまとって、

耳元で誘惑してくる・・・と言うのだ。

うっそーーん。

裸にネグリジェって・・・そんなんあり?

私だって、見たことも聞いたこともないけど。

もしかして、大昔に流行ったといううわさの・・・すけすけの・・・ネグリジェ?

おじさん虫は本当に寝不足らしく、目が真っ赤だった。

「藤川さん、笑ってるけど・・・俺ほんまに困ってるねん」

「じゃあ、ちょっとの間我慢してって言えばいいんちゃいます?」

「それが、寂しくて我慢できないって言うんだもん」

(あほらし・・・)

学生の本分は勉強でしょ?

まあ綾も人のことは言えないけど・・・白雪のことがあるし・・・。

「でも卒論は書かないとマジで卒業できませんよね」                 」

「そうやねん・・・。でも小林さん、激しくて・・・」

「何が激しいんですか?性格のこと?」

「いや・・・・あっちの方」

(ああ、もうびっくりした・・・。小林さん、そんなにすごいのかあ。

 それにしてもそんなこと言われたって

 私にはどうしようもできないよ)

おじさん虫は本当に困っているのか、半分はのろけているのか

綾にもよくわからなかった。

ただ、おじさん虫のそんなHな話にもさほど驚きもせず、

冷静に聞いている自分もどうかな・・と思った。

おじさん虫、ちょっとは気の毒かな。

「とにかく、卒論がんばってください。バイト入ってて大丈夫なんですか?」

(絶対大丈夫じゃないって)

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学生時代⑱悪い男にだまされてる?

白雪(姫)が実家の金沢から戻って来た。

大学の本屋は教科書販売の準備で大忙しだった。

おじさん虫のセクハラは相変わらずだった・・・。

けれどもう綾もあまり驚かなくなっていた・・・。

ジロちゃんはというと、留学の準備で忙しいようで

あまり会えなかった。

春休みに少し実家に戻っていると聞いた。

            ☆

夕飯を白雪の家で一緒に作って食べることになった。

どういうわけかそういう話の流れになったのだった。

綾は電話で何を買っていけばいいのか聞いた。

マンション裏のスーパーで買い物をして、

部屋へ急いだ。

ピンポンすると、白雪がのそっと出てきた。

「いらっしゃい」

綾は「お邪魔します・・・」と挨拶して部屋に上がった。

「白雪ちゃん、実家どうやった?」

「う・・・ん、まあまあ。いつもの孝行息子してきたわ」

「そう・・・それはよかった」

「姉貴も一緒だったし・・」

「姉貴?」

「そう。今4回生にいるの。○○学科に・・・」

「あーーー、わかった。あの人・・・でしょ?見たことある。

 でも全然似てないね」

「よく言われる。俺はお袋似で姉貴は父親似・・・・」

白雪のお姉さんという人は、よく本を買いに来る・・・

おかっぱで背も綾と同じくらいの・・・・

どちらかと言うと地味な感じの人だった。

お姉さんが本の注文に来たことがあったので名前は知っていたが、

まさか姉弟だとは夢にも思わなかった。

「姉貴は短大から編入したんだ・・・」

「そうやったん・・・・」

そんな事を話しながら、綾はバイト先で先輩から教わった

コンソメのスープを作った。

鍋に水を入れて、そこにジャガイモとにんじん、玉ねぎ、白ねぎ、ベーコンを

いれて、コンソメの素を放り込む・・・・

そして煮立ったら、最後に卵を割りいれるという簡単なものだった。

白雪は鳥の手羽もととから揚げ粉をビニール袋に入れて

しゃかしゃかと振って、それをささっと油で揚げた。

料理するのは好きなようだった。

この距離感はなんなんだろう・・・。とても近い気がした。

料理はどれも美味しかった。

            ☆

食事が終わると、しばらくして白雪が体を求めてきた。

綾は拒否はしなかったけれど・・・どうしてこんな日にもHするのか

綾にはよくわからなかった。

やっぱり、自分ははそういう対象でしかないのだろうか・・・

綾はそう思った。

しかもこの間が人生で二回目の経験というくらいだから、

全く綾にとっては気持ちのいいものでもなんでもなく、

ただ痛いだけだった。

白雪は気持ちいのだろうか?

夜の11時ごろだったが、その日は朝帰りするわけには

いかなかったので、遅い電車で帰ることになった。

綾は白雪に別れを告げると、一人で駅に向かった。

             ☆

その日は駅で酔っ払いの中年に声をかけられた。

ちょっとまずいな・・・綾は無視することにしたが

結構ひつこかった。

「お姉ちゃん、かっこいいね~・・・」

(う、お酒臭い・・・)

「お姉ちゃん・・・ねえねえ・・・・」

ホームには人もほとんどいなかったので

ただ時間が過ぎるのを待った。

やっと電車がホームに来たので

綾は急いで電車に乗り込んだ・・・。

以前、祇園で酔っ払いのサラリーマンに声をかけられて、

困ったことがあったのでっぱらいに、

綾は酔っ払いにはちょっと神経質になっていた。

            ☆

1時間ほどかかって、下宿している叔父の家に帰り着くと、

もう叔父は帰っていた。

いつもはパチンコで遅いのに・・・。

「綾、ちょっとこっちに来なさい」

「なに?」

「最近帰りが遅いけど・・・・」

「だって、教科書販売が近いからめっちゃ忙しいねんて」

 時々、先輩の家に泊めてもらってるし」

「おまえ、悪い男にひっかかってへんやろな?」

「まさか・・・。私、今こんな顔やで。

 そんなことあるわけないやろ~」

綾は叔父ににかっと笑って、自分の口を見せた。

実は綾は1月にバイトの帰りに交通事故に遭って、

前歯の神経が切れたので、前歯をギブス?で

固定していたのだった。

叔父はちょっと笑ったが

「そんなことは関係ないさかいな・・・・」

歯の状態と、悪い男は関係ない・・と言った。

(あ、ばれてます?おっちゃんには絶対に言えないけどね。

 今、私付き合ってます・・体求めてくる人と・・・。

 両想いにはなれないみたいやけどね)

綾は白雪に会いたいと思いつつ・・・・

もがいていた・・・・・。

  

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学生時代⑰天王寺のいとこんち

天王寺には7つ年上の従姉妹のまりちゃんとその妹のみとちゃんがいた。

綾はここがめちゃくちゃ好きだった。

なぜ?

天王寺は居心地がよかった。

そして大阪はいつもいろいろな人がいて、

淀屋橋で京阪電車を降りて、地下鉄に乗った時から

空気が違う。

活気も違う・・・・。

人の多さも。

そして服装も違う。

おばちゃんたちもおしゃれで、きらびやかに見える。

若い子に至っては、みんな好きな格好をしている。

綾はそんな大阪に来るといつも元気をもらえるのだった。

           ☆

高校生になるとともに、京都に移り住んでから

綾は時折、この天王寺の伯母の家に遊びに来るのだった。

それは従姉妹たちに会いに・・・ということも大きい理由だった。

ただ、今回来たのは、まりちゃんに白雪姫(注;以下白雪とする)とのことを

聞いて欲しかったから。

誰かに言いたかった。

けれども、まだ高校生のみとちゃんに聞かせられる話ではないし、

もう一人、伯母の家に下宿している同い年の唯ちゃんには

言えなかった。

綾自身は、去年の夏・・・・・20歳の誕生日のその日に

遠距離恋愛していた彼と

一度きりの初体験をしたことは誰にも言ってなかった。

言えなかった・・・・。

そして、そういう経験は人に話すことではないとずっと信じてきたのだった。

ただ、今回の白雪とのことには自分自身が戸惑っていた。

そして、これから自分がどうすればいいのか・・・・

五里霧中の状態だったのだ。

みとちゃん、唯ちゃんとひとしきり話が盛り上がった後・・・・

ライブハウスで働いているまりちゃんがやっと帰ってきた。

まりちゃんに会えたのは11時半だった。

「ふわあ・・・眠い、眠い・・・」みとちゃんがあくびをした。

唯ちゃんは自分の部屋に戻っていった。

夜のキッチンにまりちゃんと二人っきりになった。

「まりねえちゃん、ちょっとだけいい?」

「綾ちゃん、どうかしたん?なんかちょっと元気ない?」

「あのね・・・・実は・・・・」

綾は白雪のことをどう話したらいいのかちょっと考えていた。

まりちゃんは甘い香りのするキャラメルティーをいれてくれた。

「あのね・・・・実は・・・・私のこと・・・売春婦みたいに扱う人がいるの」

「え?どういうこと・・・・?」

綾の言葉は変だった・・・・売春婦ではないだろう・・・

けれども、その時の綾にはそういう言葉しか思いつかなかったのだ。

綾はこの間からの出来事をまりちゃんに話した。

お茶を飲みながらずっと耳を傾けていたまりちゃんは言った。

「綾ちゃんはどうしたいの?」

「私・・・・?」

(私は・・・・白雪とこれからも一緒にいたい。

 私のこと、好きでいてくれなくてもいい・・・・

そこまでは望めへんもん)

「大事なんは綾ちゃんの気持ちなんちゃう?

 彼にもっと綾ちゃんが思てること話したら・・・」

「うん・・・・でも怖くて。嫌われるのが怖いねん・・・」

「そりゃあ、わかるけど・・・・。でもそのままやと綾ちゃんが

 深みにはまっていくんちゃう?」

「そうそう。もう深みにはまってる感じ。会いたいけど、怖い・・・・」

(何が一番のネックかって・・・。それは彼が私のこときっと遊びって

 思ってそうなこと・・・・。でも自分から彼に近づいていったから

 自分ではどうしようもできないこと・・・かな・・・)

でも、綾はまりちゃんと話せたことで気持ちも少し楽になった。

今度白雪に会ったら、話してみよう・・・・。

そうすることで、少し前に進めたら・・・・・。

翌日、みとちゃんと同い年の唯ちゃんと新世界に行った。

伯母はくれぐれも気をつけなさい・・・と言ったけど。

以前、まりちゃんとみとちゃんが犬のハッチの散歩をしていたら

新世界で労働者風のおっちゃんに周りを取り囲まれたんやって。

みとちゃんが笑いながら話してくれた。

でも新世界も悪くない。

人々が生き生きしてるやん。

小さい店もいっぱい並んでる。

町の風情を楽しみながら、綾は時折、白雪のことを考えていた。

金沢の実家で、お父さんの肩をもんだりしているのだろうか。

自分は実家では孝行息子を演じるって言ってたっけ。

お医者さんであるお父さんにはとても可愛がられて育った・・・と話していた。

帰ってきたら、連絡しよう・・・・。

いつも電話をかけるのは綾なんやけどね。

           

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学生時代⑯朝帰り

朝、ベッドで目が覚めた・・・。

少し考えて・・・・綾は白雪姫の部屋に泊まったことを思い出した。

白雪姫はベッドのすぐ下で眠っていた。

眠っている顔もきれいだな・・・とそんなことを思っていると、

ふいに目が開いた。

「・・・・・」

「おはよ」白雪姫が言った。

「・・・・・」

「怒ってる?」

「別に・・・・怒ってないです」

「怒ってるんでしょ?」

「怒ってないです・・・」

綾はベッドから下りると、洗面所に向かった。

「そこ、まっすぐ行った所だから・・・・」

白雪姫はそう言って、自分も起きた。

こんな場合、何を話せばいいのだろう・・・

綾は困って無口になっていた。

白雪姫は昨日と同じ服をきちんと整えた綾に言った。

「買い物頼んでもいい?」

「うん」

「裏のスーパーでヨーグルト買ってきてくれる?」

「わかりました」

「お金はここにあるから・・・」白い封筒から千円札を取り出した。

封筒の表面には美しい字で

剛さんへ・・・・・と書いてある。

きっと彼のお母さんの字に違いなかった。

綾はお遣いを頼まれた子どものように、

スーパーに行った。

            ☆   

豆腐屋の横を通ると、同じ大学の何年か上の人が働いているのが見えた。

顔をあわせないように少しうつむき加減で

ヨーグルト売り場に急いだ・・・。

たくさんの種類が並んでいたが、

綾はフルーツ入りのやつにした。

部屋に戻ると、白雪姫はありがとうと言って

朝食の準備をした。

髪の毛はきれいに整っていた。

さっきまでかっぱみたいな頭だったのに・・・。

もう前髪を上に上げていた。

いつも見慣れたヘアスタイルだった。嫌味のないオールバック・・・。

「ああ、俺フルーツの入ったやつはあんま好きじゃないんだけど・・・」

「・・・・・・・」

綾が袋から取り出したのは紛れもなく、

フルーツ入りのヨーグルトだった。

白雪姫は少し笑うと・・・

「さあ、食べよう・・・」と言った。

ヨーグルトにトースト・・・・

コーヒー・・・ありふれた朝食だった。

昨日あんなことがあったのに、

普通に向き合って、コタツに座ってご飯食べるなんて。

ちょっと不思議な気がした。

綾の周りにはこういうタイプの男の子はいなかったけれど、

夜の行動はともかく、白雪姫は本当に

上品で、育ちのよさのようなものを感じさせた。

それは・・・いろいろなところで。

             ☆

「ご馳走様でした」綾は席を立った。

「洗い物、しますね・・・。任せて・・・・」

綾が食器を洗っていると、白雪姫は後ろで何か

悪さをしていた。

背中に風船のようなものを当ててきた。

子どもが風船で遊ぶように・・・時折綾の背中に

ポン、ポン・・・とぶつけるのだった。

そして、たまたま綾が置いていたカメラで

後姿の写真を撮っていた。

綾は振り向かずに、洗物をした。

          ☆

終わって振り向くと・・・・なんとその風船はコンドームだった。

「何してるんですか?」

「風船で遊んでるの・・・・」子どもみたいに無邪気に笑っている。

「もう」

「写真も撮ったし・・・・。後ろ姿の・・・・」

「そう・・・・」

穏やかな時間は悪くなかったけれど、綾はそろそろ帰らなくてはと思った。

今度いつ会えるとも聞けないまま・・・・。

綾自身、高校時代の沖田のことを思い出した。

あの時・・・・今度いつ会える?って聞かれるのが

ちょっと重かった。

もしかして、白雪姫もあの時の私と同じような感じなのかもしれない・・・・と。

好きではない・・・好きではないけど・・・・会うくらいはできる・・・・・

会うけど・・・・好きじゃない・・・何かが違うって。

それは悲しい。

結局、本気で相手にはされてないってことやから。

でも、綾もそうだった。

彼氏とは呼べないけど・・・・会うくらいならできるって。

「気をつけて、実家に帰って来てね」そう言うと、

綾は白雪姫のマンションを後にした。

日曜日の午前中・・・・。

         ☆

綾が家に帰ると、下宿先の綾の叔父はもう出かけた後のようだった。

どうしても一人でいるのは忍びなく、

綾は大阪の従姉妹の家に行くことにした。

ほんの少し、考える時間が欲しい・・・。

7歳年上の従姉妹のまりちゃんに話したい・・・

白雪姫とのこと・・・まりちゃんになら・・・

聞いてもらっても大丈夫だろう・・・・綾はそう思って

大阪に急いだ・・・。

       

          

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学生時代⑮彼の部屋へ

若気の至りでキスしてごめん・・・と謝られてから数日がたった。

綾はもう白雪姫には会わない方がいいと思ったのに、

またダイヤルしてしまった。

そんな自分が悲しいと心の片隅で思いつつ・・・。

でも、ビニール傘の彼に傘をプレゼントしたいと思って、

京都の町で黒い布張りの木の柄(え)の傘を買った。

「もしもし・・・」

「藤川です」

「あ、君?」

「あの・・・・会えますか?」

「うん・・・バイト終わったの?ご飯食べる?」

「はい」

待ち合わせをして、大学の近くの大型スーパーの最上階にある

可愛いファミレスに入った。

簡単に食事をする。

食事を終えて、彼のマンションの下にある公園で話をした。

マンションに住んでいる住民用の公園だろう・・・かなり狭い。

申し訳なさそうに、滑り台と、象の形をした乗り物がある。

照明もあまり明るくはなかった・・・。

「今日、俺んち来る?来たら襲うよ」

「うそ・・・・」

「いや、本気かも」

「・・・・・」

(襲うよと言われて、行ってしまう私もあほやな・・・・・)

「あの・・・これ、傘。よかったら使ってください」

「ありがとう!!センスいいね」

(うう・・・ん、そうでもないと思うけど)

「ねえ、ちょっと待ってて。コーヒー取ってくるから」

白雪姫は少しの間、姿を消した。

戻ってきたときには、自分の銀色の水筒にコーヒーが入っていた。

「さあ、どうぞ。俺も飲むし・・・」

白雪姫はコーヒーをコップに注いだ。

綾はそれを一気に飲む。

なんかお酒のような匂いがした。

「あ、これウイスキーが入ってるよ」

「・・・・・」

(わたし・・・めっちゃお酒弱いんですけど・・・って言うか

 もうなんだかふわふわしてきた。

 一体どんだけ強いお酒やねんーーーー)

「なんか・・・ちょっとふわふわするんれすけろ・・・」

「え?もう酔ったの?早くない?」

「早くないじゃなくて・・・なんか熱いんれすけろ・・・」

足取りが怪しくなってきた。

あれれれれ・・・・っ。

「危ない」

白雪姫が綾の脇を抱えたのがわかった。

「うそぉ・・・」

さすがにびっくりしたのか・・・抱えるようにして

エレベーターに乗せられた。

幸いほかに人はいなかった。

白雪姫の部屋に入った。

でも足がふらふらするので、倒れこんでしまったようだった。

「参ったな・・・・。そんなに弱いなんて」

「?なに・・・?なんか言った?」

靴を脱がされたけど、臭くなかったのかしら・・・。

そして、白雪姫はグラスに水を汲んで、持ってきた。

「これ、飲んで」

綾はグラスの水を飲んだ。冷たい。

「ふぅーーーっ。いい気持ち。ここどこ?」

「ここ、俺の部屋」

「ふうーーーん。いい部屋やん。広いねえ・・・わっはっはっはっはあ」

白雪姫はキッチンの小さい照明をつけた。

綾は仰向けに床に倒れていた。

            ☆

            ☆

            ☆

            ☆

            ☆

どのくらいたったのだろう・・・。

白雪姫が綾の横に来て、耳元でささやいた。

「終電何時?」

「うう・・・ん、12時25分」

「じゃあもう乗れないな」

髪の毛をなでる。

そして・・・目を見ていたかと思うと突然、

「最後まではしないから・・・・」そういって唇を強くふさいできた。

彼の手が綾の体を這っていった・・・・・。

綾は目を閉じた。

綾の服は一枚、一枚、脱がされていく。

            ☆

            ☆

            ☆

白雪姫はもう自分の体を止めることはできないようだった。

最後のところまで来た。

綾も覚悟していた・・・・。

「ねえ、白雪ちゃん、初めて?」

「初めてじゃないけど・・・」上にいる白雪姫が答える。

「じゃあ、慣れてるの?」綾が聞く。

「そんなわけないでしょ」

「初めての時のことは、いい思い出?」綾が聞く。

少しの間が合って・・・・

「全然いい思い出じゃないよ・・・・」と言った。

「君は・・・・」

「今日が人生で二回目なん・・・・」

綾は小さい声で言った。

「だから・・・きつくしないで・・・・」

「わかった」

白雪姫はぎこちなかった。

でも多分彼なりに優しくしてくれたのだろう・・・・。

「痛っ」

そのうち、白雪姫はいった。

それでも人生で二回目は笑ってしまうほど痛かった。

でも白雪姫とこんなことになるなんて・・・・。

喜びよりも戸惑いの方が大きい。

白雪姫は明日、金沢の実家に戻ると言った。

それなら・・・・・

綾は内心、一人でそっと抜け出して始発の電車で帰ろうと思った。

置手紙でもして・・・・。

その時だった。

白雪姫は綾に言った。

「置手紙だけはやめて。それだけは絶対やめて。頼むから」

真剣な表情で言う。

こんな彼を見たのは初めてだった。

「どうして?」

「朝目が覚めて、置手紙だけあったら、寂しすぎるでしょ。

 絶対いや・・・・」

「わかった。ほんまはそうしようと思ったけど・・・・そんなに嫌ならやめるわ」

その言葉に彼は安心したようだった。

「君はここで寝て」と窓際のベッドを貸してくれた。

彼はこたつで寝ると言った。

            ☆

窓の外では冬の月が光を放っていた。

綾は一人で思っていた。

これから一体どうすればいいんだろう・・・ と。

        

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学生時代⑭俺の右手、エッチ

「ごめんね・・・・本当に」

白雪姫はうなずいた。

そして綾の肩に手を置いた・・・・けれどちょっと戸惑った様子で

「ああ、ちょっと位置が違うな。身長何センチ?」

「157センチ・・・・」

「そっか・・・・152センチに慣れてるから」

(あ、そう・・・・・)と心の中では思ったけれど

傷心の彼には言えなかった。

八坂神社を抜けて、円山公園のベンチに腰を下ろした。

屋根があるので、寒さもまだましだった。

またたわいもない話をして・・・・

二人で歩き始めた。

もう真夜中をとっくに過ぎていた。

京都中を歩いているかのように・・・・・

しゃべりながら歩いた。

ぐるぐる歩いた。

七条のあたりまで来たときに、小さい公園に着いた。

温かい缶コーヒーを買ってきて

ベンチに座って飲んだ。

缶を置いて少しの沈黙のあったその時、

急に白雪姫は顔を近づけてきた・・・・

          ☆

          ☆

          ☆

次の瞬間唇はふさがれていた・・・・。

「うっ・・・・」(白雪ちゃんと初めてのキスなのに・・・・)

突然だった。

嫌ではなかったけれど・・・・何の前触れもなく・・・・・

本当に突然なんだもの。

そしてあろうことか・・・・ディープキスに・・・・

多分これがディープキスというものなんだろう。

かなり濃厚な感じになってきた。

(ああ・・・もう。力が強い)

体が動かない。

綾には男の生理はわからなかった。

突然むらむらっとくるものなの?

白雪姫の力が強いので綾の体は少しのけぞる形になった。

とても逃げられない。

          ☆

すると今度はコートの中に手が滑り込んで来た・・・・・・。

白雪姫は暗闇の中・・・・

キスをしたまま胸をわしづかみにする。

(うっ・・・・)

気が遠くなりそうだった・・・・。

この人・・どうしたの。

とても長い時間に感じられた。

綾はされるがままになっていた・・・・。

それは、その時もう白雪姫のことが好きだったから。

自分は何かしたいとは思わなかった・・・思わなかったけれど、

男ってそういうものかと心のどこかで思っていた。

白雪姫は言った・・・・

「俺の右手、エッチ」

白雪姫の目を見ても、何もわからない。

ただ、ただ・・・・ほんの少し・・・・寂しいような

光が見えた。

この人は寂しいのだろうか・・。

ふぅ。

綾は小さくため息をついた。

それは白雪姫には聞こえていないようだった。

          ☆

空がうっすらと白くなってきた。

もう夜も明けるのだな・・・・・。

「そろそろ行こっか」

何事もなかったように白雪姫は言う。

また二人は歩き出して、

綾は京阪の始発で帰る事にした。

歩きながら白雪姫は悪びれずに言った・・・・・。

「ごめんね。・・・・・若気の至りで・・・・・・」

(はい?今なんておっしゃいました?若気の至り・・・・って言ったよね?)

キスしたのは若気の至り・・・・?

だよね・・・・。

若気の至りなんだよねえ・・・・。

それでも、白雪姫に惹かれている自分に綾は気が付いていた。

(これからどうすればいいの・・・・)

           ☆

こういう人は初めてだった。

心に相当の傷を抱えているのか。

冷たい人なのか。

わかりにくい。

ただ、綾は自分は好かれていないんだろうなとは

わかっていた。

わかっていたけど、深みにはまっていくようだった。

それを自分でも止められない。

わかっていて、危ない沼に近づく・・・

とてつもなくその沼に引かれて・・・・。

白雪姫は、美しい。

足が長くて、細くて・・・・黒のロングコートがよく似合う。

鼻筋がすっと通り・・・・・

瞳は大きくぬれたように輝く。

でも・・・

そう、かなり問題ありだな。

無理やり近づいてしまった綾が悪かったのかな。

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学生時代⑬オールナイト

バレンタインの前日に会ってから、また少し間があいた。

綾は大学が休みの間も本屋にバイトに行っていた。

実はこの間に棚卸をしたり、いろいろな準備があったり、

高校に行ったりと仕事はいくらでもあるのだった。

憧れだった小谷さん・・・・ジロちゃんは留学の準備で

忙しくしているらしかった。

なかなかバイトでは会えなかった。

それも仕方ない・・・。彼女さんのこともあるし・・・・。

それでも、綾に会った時にはいつもジロちゃんはやさしく、

楽しく接してくれた。

          ☆

今度は白雪姫とオールナイトしようということになった。

別になんていうことはない・・・・四条にボーリングでもしに行こうと

いうことになったのだった。

          ☆

二人でボーリングをして、近くの居酒屋に入った。

サラダとチューハイ・・・そして数品を頼んで食事をした。

白雪姫は大学に入ってから好きな人がいたけど、

その人がはっきりした態度を取ってくれなくて、

結局はダメだったのに、傷ついた・・・・と言った。

「・・・・その人は白雪ちゃんに優しくしたの?」

そのとき、白雪姫は無言で綾をじっと見つめた。

その目は瞳の奥に何か秘密でも隠しているような光を放っていた。

みるみるうちに白雪姫は涙目になっていった。

(しまったあ・・・・・。また余計なことを言ってしまった。

 これが傷口に塩を塗るってことよね・・・・・)

白雪姫は無言のままお皿に残っていた野菜をすべて口にかき込んで

ここを出ようと言った。

「ごめんね・・・白雪ちゃん。思い出させてしまって・・・・」

(ああ。また余計なこと言ってる・・・もしかして)

まだ黙ったままで八坂神社の方に向かって二人は歩いた。

            

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学生時代⑫バレンタイン前日

白雪姫と初めて一緒に出かけることになった。

世間はバレンタインデーの前日だった。

行き先は醍醐のスケートリンクだった。

大学は休みに入った。

待ち合わせて駅で会い、一緒に電車に乗った。

「京阪電車って懐かしいな」

「え、そうなんですか・・・」

「母の実家が宇治でね。祖母の家によく遊びに来たんだ・・・・」

「そうだったんですか」

宇治かあ・・・・とってもいい所だな・・。

「最近は行ってないんですか?」

「うん。行ってないな」

京阪電車は中書島でいったん止まり、

六地蔵方面に向かった。

           ☆

スケートリンクはあまり人もおらず、

一緒に滑った。

白雪姫はスケートは得意ではないらしく、

派手に滑ってこけていた。

時々ふとしたときに見せる彼のなにか暗い表情が

少しでも和らぐといいのだけれど。

滑っているときは無邪気な表情で、子どものように笑っていた。

スケートの後で、近くのファミレスで食事をした。

白雪姫はいろいろな話を綾に聞かせてくれた。

高校時代の友達と、金沢に戻ったときにファミレスで会って

夜更かしした話・・・。

ウエイトレスが少し嫌な顔をして、水をやたらと注ぎに来た話。

たわいもない話だった。

そして食事も終わり、ひとしきりしゃべって、

綾は帰らなければならない時間になった。

綾の最寄の京阪の駅で別れた・・・・。

別れるときに綾は用意していた小さいハートのチョコを

いっぱい詰めた缶を白雪姫にそっと手渡した。

白雪姫は「ありがとう・・・」と言った。

「おやすみなさい・・・・」

「おやすみ」

空からちらちらと白いものが舞い降りてきた・・・。

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学生時代⑪彼の名前

成人式を終えて、大学に戻ってきた綾は久しぶりにバイトに入った。

すると先に入っていた4回生の芳川さんが綾に言った。

「綾ちゃん、さっき・・・多分白雪姫だと思うけど、本の注文に来たよ」

芳川さんには白雪姫の話をしていたんだっけ。

と言うことは・・・・本の注文票には白雪姫の名前の名前と電話番号が

載っているはず。

心がざわざわと波打ったようになりながら、急いで注文票を

見せてもらった。

戸田 剛  

とだ つよし・・・・

それが白雪姫の本名かあ。ああ、電話番号まである。

運良く本が入荷したときにバイトに入っていれば、

電話がかけられる・・・。

            ☆

白雪姫の注文した本は白水社の語学の本だったので、

すぐに入ってきた・・・・ようだった。

やはり、物事はそううまくはいくまい。

綾がバイトに来たときには、おじさん虫が電話をかけた後だった・・・。

おじさん虫は綾の気持ちを知ろうはずもなく、

ただ普通に自分の仕事をしただけだった。

でも綾は・・・おじさん虫をさらに嫌いになりそうになった・・・。

(くそっ。なんてね・・・)

このとき2月になっていたので、大学にはそうたくさんの学生はいなかった。

試験も終わろうとしていた。

ある日、雪がちらちらと舞う日の午後、

綾は公衆電話から電話をかけた。

それは、白雪姫の電話番号だった。

やめようかと思った。

ダイヤルする指が震えた・・・・けれど、この時には彼と話したいという

気持ちの方が勝っていて・・・・電話をかける事にした。

             ☆

すぐに電話に出た・・・・

「はい・・・」

「戸田さんのお宅ですか?・・・・・あのう、私大学の本屋の・・・・」

「ああ・・・・わかりました・・・・・どうかしたの?」

綾は戸惑った。

初めての電話で一体何と言ったらいいのか・・・。

でも白雪姫はそう驚いた風でもなく、普通に話してくれたのだった。

たわいもない話をした。

そして、今度は一日だけ二人で会えることになった。

             ☆

電話を切った時、綾は気が抜けた気がした。

なんてすごい展開なんだろう。

あのなかなか会えなくて、白雪姫を探していた日々が嘘のように感じられた。

それでいて、なにか・・・・なにか・・・・

白雪姫の中に、何か・・・・冷たさのようなものを感じた。

当たり前か。

職権の乱用だもの。

怒られても仕方ないようなことだ。

そのことは彼にも謝った。

彼は「いいよ・・・」と言ったけど。

            ☆

石川県は医師の人口が最も多い県で・・・・

白雪姫のお父さんもお医者さんだって。

たまたま本の話をしていて、出たことだったけれど。

綾の幼馴染にも医者の娘がいて、

医者に抵抗はなかったけれど、医者というのはお金持ちで、

インテリという印象があった。当たり前でしょ。

それに、白雪姫の部屋・・・・後ろでクラシックが流れていたような気がした。

気のせい?

             ☆

人間って止めようと思っても、感情を止められないことがある。

綾・・・・

白雪姫にそれ以上近づかない方がいいよ。

危険な香りがするよ。

友達のままで・・・・いた方がいいよ。

例えば、天使がいて綾にこんな風に忠告してくれたら、

綾は白雪姫にこれ以上近づかなかっただろうか?

いや、多分無理なんだろうな。

もしもこれを運命と呼ぶなら、綾と白雪姫はここで

接近する運命だったんだろうな。

戸田 剛。

寂しがりやの・・・・ 男の子。          

            

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学生時代⑩傘

綾にはいくつか、自分はこうだと信じていることがあった。傘に関して言えば、

ビニール傘を使っている男には彼女はいない・・・。

なぜ?それは綾にもわからない。

わからないけど、ただ漠然とそう決めていたのだ。

もしも彼女がいれば、傘のひとつもプレゼントされてるんじゃないかな・・って。

つまり、白雪姫には今は彼女はいないというわけ・・・。

まあそれは当たっていた。彼女はいなかった。

ただ、その時の白雪姫は綾が考えもしないような傷を

心に抱えていたのだった。

ああ。

ただ、写真を渡したとき、白雪姫の親指だけが透明のマニキュアを塗ったように

光っていたように感じた。綾の見間違いでなければ・・・。

その事実も後にわかるのだが。

            ☆

それからしばらく白雪姫との接点はなかったのであるが

綾の成人式を目前に控えたある日、道端でばったり会ったのだった・・・・。

大学の前の道を白雪姫が歩いてきた。

綾は声をかけた。

「こんにちは」

「あ、こんにちは」

「あのう・・・・家はどこですか?」

(綾は実家を聞いたつもりだった)

「あ、俺の家はすぐそこ」白雪姫はすぐ近くにあるマンションを指差した。

「あ・・・あの・・・・そうではなくて、実家はどこですか?」

「 おれ、金沢。君は?」

「岡山です。」

「へえ・・・。そうなんだ。岡山のどこ?」

「倉敷です。」

「いいところなんでしょ?金沢も小京都って言われるような

 古いいい町なんだよ。」

それから少しの間たわいもない話をして、別れた。

綾は白雪姫に友達になってくださいと言った。

白雪姫は「いいよ」と言った。

綾。

この時点で気づけばよかったのに・・・・。

白雪姫はこれだけの美貌の持ち主なんだから。

遠くから見るだけにしておけばよかったのに。

そうすれば、そんなに傷つかずに済んだのに。

それでも綾は近づきたかった・・・・美しすぎるこの人に・・・・。

若い娘は時々愚かだ。

           ☆

綾は成人式のために地元に帰ると言って、

白雪姫に別れを告げた。

また会いましょう・・・・と。

(もう会わない方がよかったかもね)

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学生時代⑨それはある日突然に

綾はいつも自分のカバンに白雪姫とのツーショット写真を忍ばせていた。

もし白雪姫が書籍部に現れたら、もしかしたら渡せるかもと・・・

わずかな可能性を夢見ていたのだった。

それに、白雪姫の屋台は確か、卒業委員会の文字が書いてあったような

気がしていた。

四回生かあ・・・・綾は白雪姫は四回生だと思った。

            ☆

そして、ある日・・・・。寒い小雨の降る日だった。

またいつものようにバイトに入っていた時のこと・・・。

男子学生二人が店に入ってきた。

もういつのまにか真冬になっていた。

白いマフラーを巻いて、濃い緑のジャンバーを着た

鼻筋のすうっと通った男の子。

瞳は大きくて、もし彼が女性でもめちゃくちゃ美人。

「あ、白雪姫・・・・」

綾は思わず声をあげそうになった。

そして彼は友人と店をゆっくり回って出て行こうとした。

綾は後ろから勇気を振り絞って声をかけた。

緊張のあまり、声がかすれそうになった。

「あの・・・・。あのう・・・・すみません」

白雪姫は後ろを振り返った・・・・・。

かなり背が高いので、157センチの綾を見下ろす。

「白雪姫の方ですよね?」

「はい。」

「あのう・・・・四回生ですよね?」

「俺、一回生ですけど・・・・」

「へ?」

(ありゃりゃ・・・・・)

「すみません、学園祭の時に一緒に撮ってもらった写真・・・・」

綾は封筒に入れた写真を恐る恐る差し出した。

「ありがとう・・・」

白雪姫は少し照れたような笑顔でそれを受け取った。

そしてビニール傘を手にとると、店を後にした。

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学生時代⑧白雪姫との出会い

お兄ちゃん・・・ジロちゃんのことはここでひとまず置いておく・・・。

11月の学園祭で綾は白雪姫に出会った。

彼は寒い中、半そでで白雪姫の衣装のまま、焼きそばを売っていた。

綾は思わず、白雪姫の美しさに見とれていた。

「あの、すみません・・・一緒に写真お願いできませんか?」

綾は自分でも信じられなかったが、学園祭では

多くの友人や、学生部のOさんと写真を一緒に写したりしていたので、

そのままのノリで白雪姫にも声をかけたのだった。

彼はすぐに綾の要求に応じてくれた。

寒い風の夜、写した一枚の写真から

綾の運命はまたまた少し違う方向にいくのだった。

          ☆

もしこのとき、白雪姫に会ってなかったら、

綾はきっと・・・・悪い男を知ることはなかったに違いない。

悪い男?なにをして、悪いと定義するのか。

弄ばれたから?

いや、弄ばれてなどいない。

でも・・・・やはり彼は悪い男には違いないだろう。

            ☆

退屈な学生生活はまた、まったく違う色に綾を染めていくのだった。

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学生時代⑦お兄ちゃんと彼女

ある時、綾はお兄ちゃん=ジロちゃんに聞いた。

「彼女との出会いはどんなだったんですか?」

すると、ジロちゃんはまじめな顔をして話し始めた。

「あのな、小学校の時の同級生やってん。隣の席に座ってた。

 彼女は京都に引越したんやけど・・・・

 大学で再会したんよ。」

「へえ・・・ロマンティックですね」

「うそ」

でもジロちゃんはそれ以上は話してくれなかった。

綾はこの時ちょっとだけ嫉妬した。

ジロちゃんがいくら綾と楽しく、しゃべって、笑って、

いろんな話をしてくれても、それはバイト仲間だから。

本当に好きなのは彼女さん・・・・やから。

そんなことわかっているはずなのに。

でもジロちゃんには学内でやたらと会う。

もう顔を見たくない時でさえ・・・・。

会ってしまうのだった。

なんて狭い大学なんだろう・・・。

            ☆

ジロちゃんと彼女はとてもうまくいっているようだった。

しかし、大学の学食のテーブルで二人を見かけたとき、

綾は少し違和感を感じた。

二人で座っているのに、二人ともぜんぜん笑っていない。

ジロちゃんも、いつものジロちゃんではない。

怒ってる?

綾は横を通り過ぎただけだったので、

あまりよく見たわけではないが・・・・

会話もしていないようだった。

小学校で一緒だった女の子で

大学でばったり出会ったって冗談まで

言っていたのに・・・・・。

でも、綾には関係のないことだった。

それは二人の問題だから。

            ☆

だいぶ後になってわかったことだったけれど、

ジロちゃんは一人で大学からの推薦枠に合格して、

外国に留学することが決まったらしかった。

そんな話を彼女としていたのかもしれない。

おじさん虫がバイトのとき、わざと綾に言った。

「小谷くん、最近彼女とうまくいってないみたいやで・・・・」

綾は無言のまま、雑誌の片付けに行った。

おじさん虫が言うほどだから・・・・今は本当に

うまくいってないのかもしれない。

でも余計なことは考えまい。

心に決めたのだから・・・・。

             ☆

ジロちゃんとは長いこと付き合っていたい。

だから・・・人間として・・・・付き合おう。

異性としてではなく・・・・。

それもちょっと悲しいけどね。           

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学生時代⑥セクハラの嵐

綾は大学構内の本屋で一生懸命働いたが、

時には許せない出来事があった。

それは・・・・おじさん虫のセクハラである。

同じバイト仲間の人から「気をつけなよ」と

言ってもらったことがいくつかあった。

その中のひとつが、おじさん虫のセクハラだった。

もうひとつは・・・・

石川さんの(責任者・40代)からの「お尻タッチ」だった。

ある日のこと、おじさん虫と一緒にレジに入っていたときのこと。

「藤川さん、藤川さん・・・・こっち見て」と言われたので

そっちを見ると、おじさん虫が雑誌「プレイボーイ」の

グラビアページを広げて、綾に見せた。

「・・・・☆・☆/○・■」(裸。裸・・・M字開脚・・・いいのか?こんなん・・・・)

「イヒヒヒヒヒ・・・・」とこれまたいやらしい目つきで綾の嫌がる様子を

伺っている。

悔しい・・・・不意打ちを食らったので、しらんぷりできなかった。

女の人の裸位はどうってことないと思うけど・・・・不意打ちだったから。

たじろいでしまった。

女の人の裸の写真をわざわざ見せて、人の様子を喜んで見ている

おじさん虫に嫌気がさした。

でもここの本屋ではおじさん虫が一番の古株で

責任者の石川さんもあまり強くは言えないようだった。

「すまんけど、がまんして」と言われた・・・・。バイトの先輩に。

さわやかなお兄ちゃんにはそんなこと言えなかった。

            ☆

ある日は、また二人きりでレジに入っていた時のこと。

「藤川さん、僕の下宿に来て泊まってくれない?」

「・・・・はい?なんで私が。」

「なんにもせんから・・・・泊まっていって」

(はああ・・・?なんであんたの下宿に行くんだよーーーーっ)

「お人形みたいだから、ガラスケースに入れて眺めていたい」

「・・・・・・・・・・。」(おじさん虫の目が明らかにやらしい想像をし

 ている!!間違いない)

我慢、我慢、我慢・・・・。

おじさん虫は二浪した上に二留年しているらしかった。

そんなこと考える前に、ちゃんと大学の勉強しろってーーーの。

でも実はおじさん虫とお兄ちゃんは同じ学部で、

お兄ちゃんの彼女も同じ学部だということがわかった。

厳しいと評判の学部だった。

そうそうお兄ちゃんの名前・・・・小谷 次郎と言った。

バイト先では、小谷さんと呼んだ。

小谷さんとはたまにバイトのシフトが一緒になったが、

並んでレジに入ることは少なく、

綾に「レジに入っといて」と言い残して、

自分は裏に返品伝票を切りに行くのだった。

(私と一緒にレジに入るのは嫌なのかな・・・・)綾は思った。

             ☆

それでも、時々は英作文の宿題を見てくれたり、

いろんな話を聞かせてくれたりした。

たまたま綾の選択していた第二外国語が中国語だったので、

お兄ちゃんは中国語も見てくれたりした。

小谷さんは外国語が得意らしかった。

小谷さん、藤川さんと呼び合っていたのが、自然に

ジロちゃんと呼ばせてもらうようになった。

小谷さんが「ジロちゃんと呼んで」と冗談で言ったのがきっかけだった。

ジロちゃんも綾の前ではおどけて見せてくれたり、

たまには彼女の話が飛び出すこともあった。

おじさん虫には「藤川さん、小谷のことが気に入ってるんやろ?」

と言われた。

「でも、小谷は彼女おるで。一回生の時から付き合ってる

 彼女が・・・・」

「それは知ってます。それに、小谷さんのこと別に気に入ってるとか

 そんなん違いますし。」

おじさん虫は「そうか、そうか・・・」と言って、

またなんか二人でどこかへ行こうとか言っていた・・・・。

聞いてないし・・・・。

もう・・・・本当に・・・・・何とかしてえ・・・・・。

おじさん虫はとりあえず、バイトに入ってきた女子みんなに

アタックみたいなことをしてきたらしかった。

でもとにかく、みんなに断られ・・・・・

今は・・・・先輩の言葉を借りれば「女に飢えている・・・・」そうだ。

はあ・・・。

セクハラの嵐。

でも我慢。我慢・・・・。

そして、たまらん香水の香り。

それも・・・・・くさいーーーー。

香水、きつい・・・・。

安物の香水・・・・・。くさすぎる・・・・・。

そして、大学院の美人のお姉さんを見ると

必ず、こういうのだった・・・・。

「あの人けばいやろ・・・。やりまくってるで。」

最初は何を言ってるのかよくわからなかったが・・・・

とにかくおじさん虫はそっちの方に話を向けたいのね。

相手が聞いていようがいまいが、嫌がっていようが

関係なく・・・・自分が言いたいように言うのね。

            ☆

学生時代は、ハザマのような時代で、

大人の人は大人。

子供の人は子供。

ある日、恋愛経験してしまう人もいるし、

ずっとまじめに勉強一筋の人もいる。

それはそれで、人の自由だ。

でも、人に迷惑をかけるな!!!!

おじさん虫・・・・・いいかげん、セクハラに気づけ!!

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学生時代⑤9月に・・・

夏休みの間に、綾は「大人」になった。

夏休みに二十歳の誕生日を迎えた・・・・。

               ☆

大学の夏休みは長い・・・。

後期が始まったのは10月だった。

綾は友達のふうちゃんが勧めてくれた通り、

大学の書籍部でバイトをしようと思った。

まだバイト募集の張り紙がしてあった・・・・。

その日、書籍部には年上のめがねをかけた・・・

オジサン虫のような人がいた。

「あのう・・・・」

「はい?」

「バイト募集の紙を見たんですけど・・・。

 面接受けられますか?」

オジサン虫はちょっとびっくりしたような顔で

「ちょっとお待ちください」

と言うと、奥の事務所に駆け込んだ。

奥では40過ぎくらいのこれまためがねをかけたおじさまがいた。

このおじさまがここの責任者らしかった。綾は事務所に通された。

おじさまは綾の顔をじーーっと見た。

そして上から下までなんとなく・・・(綾はそう感じたのであるが)

じろじろと見ていた。

「採用!」

「え?????」・・・・即決ですか。

(もっと質問とか、なんか条件とか・・・ないんですか?)

バイトのオジサン虫は

「石川さん、見かけで選んだんですか?いやらしい・・・・」と

自分こそ、責任者のおじさまに向かって

やらしそうに言った。

綾はお兄ちゃんに会えるかもしれないという淡い期待のほうが

大きかったので、オジサン虫の

やらしそうな目にはこの時まだ気付いて

いなかった。

           ☆

綾は責任者の石川さんから少しバイトの内容についての

説明を受けて、時給もこのとき初めて知った。

驚愕の安い時給だった。

お兄ちゃんもこの時給でやってるのね・・・・。

綾は心の中でそう思った。

「とりあえず、明日から来てくれる?」

石川さんは言った。

「はい」綾はぺこりとお辞儀をすると、本屋を後にした。

そして、ふうちゃんにバイトが決まったことを報告した。

               ☆

次の日・・・・。

夕方、バイトにお兄ちゃんが来た。

お兄ちゃんは本屋にいる綾を見て、

少しびっくりして、それからすぐに笑顔で、

「今日から仲間やね。よろしくね」と言った。

初めてお兄ちゃんと言葉を交わした瞬間だった。

「よろしくお願いします。藤川 綾です」

綾が挨拶すると、お兄ちゃんは

「本の注文に来てるでしょう?名前は知ってるよ」と言った。

嬉しかった・・・・。

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学生時代④雨の日に・・・・

綾には遠距離恋愛で自然消滅みたいになった同い年の彼がいた。

その彼と久しぶりに電話がつながって・・・・

「夏休みに遊びにおいで。かわいがってあげる」と言われていた・・・・・。

かわいがってあげる・・・?

普通は行かんやろ。でも若気の至りよね・・・。

               ☆

大学で英検の申し込みをすることになった。

大学の構内はかなり広かったので、本屋までは遠かった。

その日綾は申し込みの用意をしていた。

午後、本屋に向かう途中で

急に雨が降り出した。

綾は、傘を持っていなかった・・・・。

白いブラウスは濡れてしまった・・・・。

長い髪の毛は濡れていた。

綾はそのままの格好で本屋に走った。

               ☆

夕方だったせいか、雨のせいか。

本屋ではお兄ちゃんが一人でバイトをしていた。

綾の濡れた格好を見て、一瞬ぎょっとしたみたいだった・・・・。

「あのう・・・英検の申し込みをお願いします」

「・・・・はい。じゃあこの紙に必要なことを記入してください」

めっちゃ冷静に見える。

びしょぬれで来て、怒ってないよね・・・。

でも英検の申し込み今日が最後やし・・・・。

多分、夏休み前でお兄ちゃんに会えるのはもう最後やし。

英検の申し込みをして、綾は本屋を後にした・・・。

本当はお兄ちゃんに「大丈夫?」と

一言、言って欲しかった。

お兄ちゃんは、綾の姿をほんの少し、びっくりして

見たように見えた。

(お兄ちゃん・・・・・前期、楽しかったです。

 あなたがこの大学にいてくれたから・・・・。

 彼女さんいても・・・。

 顔見えるだけで・・・よかった。

 この夏休みに・・・私多分、彼のところに行って来ます。

 初めて・・・多分・・・・・初めて・・・・・。

 だから、今の私は今日で最後です。)

            ☆

綾は本屋の裏にあるトイレに向かった。

鏡に映る自分の姿を見て・・・・・驚いた。

この白いブラウス・・・・めっちゃ透けてる・・・・。

つくづく、自分ってアホやなあ・・・・。

お兄ちゃんの前で、こんな姿で・・・・英検の申し込み行くなんて。

ほんまにアホやわ。

軽蔑されてるね。きっと・・・・。

               ☆

雨の日に、突然英検を申し込みに来た

濡れたブラウスから、

ブラが透けてる・・・・女の子・・・・・。

もう、嫌・・・・。

              ☆

しばらくして、服を乾かして・・・・

ふうちゃんに学内で会った。

ふうちゃんは綾に言った。

「綾ちゃん、書籍部もバイト募集してるやん・・・・。

 そこでバイトしたらいいやん・・・。」

「えっ?」

ふうちゃんにそう言われて、なんか驚いた。

でも、今まで考えてもみなかったけど・・・・。

書籍部でバイト?

私が・・・・・?

頭を冷やして、家で考えることにした。

「ふうちゃん、一緒に帰ろ・・・・」

(そういえば、ふうちゃんも西城陽高校の出身で、

 私の従兄弟と同じ学年だった。

 私の従兄弟のことも知っていた・・・・。

 全然、どうでもいいことなんやけど。

 駿台でも面識はなかったけど、同じ私大文系のクラスにいた

 そうで。ものすごい偶然だなと思った。)

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学生時代③彼女

「綾ちゃん、今日本屋のお兄ちゃん見たよ。カフェで・・・」

友達のふうちゃんが教えてくれた。なんでも兄ちゃんはカフェで

ホットサンドのチーズを食べていたそうだ。

綾は午後にカフェに行った。

お兄ちゃんと同じ、チーズのホットサンドを注文してみたが・・・・。

胸焼けがした。

チーズの油がちょっと濃かったのだ・・・・。

「ふう・・・苦しい・・・」ちょっと裏にあるトイレに行こうとした時だった。

白いテーブルセットに腰掛けているお兄ちゃんがいた。

女の人と一緒だった。

(あの人・・・・見たことある・・・・。)

それは教科書販売を手伝っていた・・・・女の人だった。

ああ、レベッカのnokkoみたいな感じで・・・華奢で可愛い。

綾はため息が出てしまった。

自分とは全くタイプが違う女の人だったからである。

(お兄ちゃんの彼女かあ。まあ彼女がいても当たり前やなあ)

               ☆

綾は1つ、心の決めていることがある・・・・。

笑わないで聞いて欲しい・・・。

彼女のいる人には手は出さないこと。

奥さんのいる人にも・・・・。

そう、だから谷さんとの恋愛は成立しないのである。

なぜ、そう決めているか?

それは、ただなんとなく・・・・。

もしかして、人を本当に好きになったらそんなこと関係ないって

思うかもしれない・・・。

けれど、因果応報・・・もしも自分の身に帰ってきたら怖いから?

もしかしたら、臆病なだけかもしれない。

それでも、やはり彼女のいる人には、手は出さない。

ただ、本屋に行って今まで通りに、本を買うだけならいいでしょう?

               

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学生時代②苦しい時期

綾は大学での成績はまずまずで、奨学金も返還不要で、

少しの金額を補助してもらえることになった。私立大学の学費は高い。

京都の伯母のできるだけ負担はかけたくなかった。

綾は時々大学構内の本屋に行った。

密かに少年のような「兄ちゃん」の顔を見るのが楽しみであった。

何度か通ううちに、「お兄ちゃん」のバイトの日と

そうでない日がわかった。

お兄ちゃんのいない日は、なんと・・・・

かなり年上のおじさんみたいな人が働いていた。

ほかには、顔の濃い明らかに南洋系の外国人みたいな人もいた。

昼間はお兄ちゃんはいなかった。

            ☆

一方、家では伯母に叱られる日が続いた。

綾のバイトが忙しすぎて、朝から晩まで家にいないため、

何の役にも立たないと叱られたのである。

そのころストレスが知らず知らずのうちに、限界になり

ふとしたことから、綾は右耳の聴力を失ってしまった。

京都の国立病院や、第二日赤も紹介されたが、

やはり聴力は戻らなかった。

綾・・・19歳。          

ついに紳士服の販売のバイトを止めなくてはならなくなった。

相変わらず、綾は大学の本屋に通い、

お兄ちゃんに文庫本のカバーをつけてもらうのが

楽しみだった。

いつもさわやかだった・・・・。

            ☆

綾はお土産や時代に思ったが

どうも寂しそうな顔の男性に惹かれる傾向があったようである。

お兄ちゃんはなんとなく、寂しそうな目をしているように見えた・・・・。

「いらっしゃいませ」

「ありがとうございました」

お兄ちゃんから発せられる言葉は打他それだけだった。

それでも綾はお兄ちゃんの顔が見えるだけでその日

楽しい気持ちになれた。

            

 

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学生時代①お兄ちゃんを初めて見た日

大学ってこんなところなのかと思った。

綾のクラスは男女半々。

入学そうそうコンパが開かれたけど・・・つまらなかった。

ほんと、みんな狙ってる子が見え見えで。

もっとほかに大事なことあるでしょう?って感じ。

綾は紳士服の販売のバイトを春休みから始めた。

これがかなりハードな生活で、両立は無理になってきていた。

             ☆

教科書販売のある日。

その日は雨だった。

本屋のレジを打っていたお兄さんがいた。

あーーーー・・・可愛い。

そう、この日、大学に入学して以来、初めてうれしい気持ちになった綾だった。

お兄さんはめっちゃ普通にレジを打って、

笑顔でおつりをくれて、

普通に仕事をこなしていた・・・だけだった。

ああ、なんかいいなあ。

子犬みたいな人だなあ。

まるで少年。

17,8歳にしか見えない。

          ☆

でも本当につまらない学生生活に小さな光を見た瞬間だった。

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学生時代編を書きます

まだ書き出せてないけど、ここからは学生時代に入ります。

綾は翌年、とある大学に入学します。

ここは男女共学。

そして、今までの綾とはまた別の綾になっていきます。

ついに大人になるときがやってきました・・・・。

初体験はあまりにつまらないので、

それは書きません。

ああ、あれほど谷さんに大事にしてもらった綾なのに。

若気の至りでしょうか・・・。

ついに、人生初、悪い男に出会うときがやってきました。

というわけで、次回より「学生時代」お楽しみに!!

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